高齢化に思うこと

住まいもインフラも高齢化って

気づけば人間だけでなく、いろんなものが老朽化してたいへんなことになってきた。

気づけば近所の住宅もあれよあれよという間に空き家になって朽ちつつある。橋とか道路とか水道管、学校のメンテナンスも追いつかないという。人が減って環境が変わることを考えてこなかったのだなあとつくづく思う。繁栄し続けることを目指してきたのだから仕方ないか。

考えてみれば、生物が増えたり減ったりするのはごく自然なことだ。増え続けるのはもちろん、現状維持もたまたましばらく続くことはあっても、やがては変化する。それをどうこうできると考えてしまう人間はすごいというべきか、楽観的というべきか。

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手仕舞するのは難しい

株取引は損得を確定するのがもっとも難しい。

売買の決断をどのタイミングで行うか。悩んでいる間に損失が膨らんだなんてことは株取引あるあるなのだ。嘘みたいにまんまと高いときに買って安い時に売ってしまう。なぜなら高いか安いかは、後になってみないとわからないからだ。でも、これまで投じてきたお金を思うと、今さら後には引けない。いさぎよくやめるという決断がますますしにくくなるのだ。

ピントがずれた国家プロジェクトや経済対策を見るたびに、株取引のことを思い出す。複雑な利害関係者が入り乱れ、株式以上に見直したりやめたりしにくいんだろうなあと想像できる。

下り坂の縮小期

出産が減り続けているんだから、当分人口が増えないのは確実だ。高齢者の割合が高いまま推移することもわかっている。労働人口が減るんだから人手不足も続くだろう。日本はどこよりも先んじて下り坂の縮小期に入ったのだ。株式でいうところの下げ相場。何かと株にたとえるのも何だけど、上げ相場より下げ相場の方が圧倒的に多いという。下り坂に備えてこそ生き延びられるのだ。

儲かれば何でもいいみたいなことを、これからも続けていってだいじょうぶか。これまでの常識を疑ってみるときかもしれない。

必要ないけど儲かるものに夢中になるのはほどほどにして、もうそろそろ本当に必要なものを大切にすることを思い出したほうがいい気がしている。

とりあえず今ある必要なものを大事にメンテナンスしつつ、少人数でも負担なく社会が回せるような、技術開発やくふうに力を注いでいけるようになることを願う。

で、個人的にできることは、少ないお金でも豊かに生活できるようになることだろうか……。

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