佐藤優氏の『国語ゼミ』を読みました。
佐藤氏は元外務省官僚で逮捕起訴され有罪判決を受けた経歴の持ち主。
一般主婦の興味範囲から外れてる作家さんかも。
でも今回は『国語ゼミ』のレビューではないのでご安心ください。
佐藤氏は同志社大学神学部を卒業してる本物のクリスチャンなんですね。
クリスマスが近づいてくるとふいに思い出すんですよ。
そうだ!わたしはクリスチャンだった!ってこと。
わたしがクリスチャンになったいきさつ
宗教に入るきっかけは、親が信者だったからという場合も少なくないんですが、多くの場合、ふと何かに頼りたくなる心のすきまにスッと入ってきたりするんじゃないでしょうか。
気をつけてくださいね。
キリスト教に関して言えば、ちょっと欧米文化にあこがれて、軽い気持ちで洗礼を受けてしまう、なんていうパターンもあります。
わたしは結婚してはじめて親元から離れたのがきっかけでした。
希望や開放感もあったんですよ。
でもどこか寂しさや不安があったんですね。
そんなとき、ふと教会に行ってみようという気になったのでした。
というのもキリスト教は幼い時からなじみがあったんですね。
幼稚園、高校、大学とすべてたまたまミッションスクールだったんですよ。
たまたま近所にあった幼稚園がキリスト教で、小学校に行くようになってからもしばらくあたりまえのように日曜学校に行ったりしてたんです。
日曜学校では聖句(聖書のことば)が書かれたカードがもらえるんですが、それをカード帳に張り付けていくのが嬉しかったりしたものでした。クリスマス会で劇をしたり、讃美歌をうたったりするのも好きでした。
そのうち小学校や中学校の活動が中心になって、日曜学校に行く習慣はいつの間にかやめてました。
その後高校・大学でまたキリスト教と関わることになったこともあり、わたしにとってキリスト教は、ほかの宗教とは違った親しみを感じていたみたいです。
だから結婚して新しい土地でふと心細く思ったとき、教会に行くことを思いついたんですね。
徒歩圏内にあったその教会とは、今思うと運命的に出あいでした。
想像以上に居心地のいい場所だったんですね。
わたしもオットもそれほど社交的でないタイプなんですが、その教会のイベントにはオットも気兼ねなく参加するほどでした。
思うにやっぱりその教会の牧師が素晴らしかったんですね。
それでどんどん打ち解けていって、ついにはその牧師から洗礼を受けたいと思うようになったのでした。
それからというもの、キリスト教信仰に熱心に取り組むようになりました。
本もたくさん読みましたし、もちろん聖書は毎日読んで、お祈り会にも参加しました。
ところが……。
わたしのキリスト教フィーバーは教会とともに去る
その教会に連なってた10年ほどの期間が一番熱心なキリスト教信者だった頃です。
その後その地を離れることになり、その教会には頻繁に通えなくなりました。
しばらくして牧師が引退して交代したと聞きました。
わたしたちはさらに遠く離れたところで暮らすようになり、すっかりご無沙汰です。
新しい土地で新たな教会を探したこともあったんですが、これがなかなか適当な教会が見つからない。
こうして教会と疎遠になるにつれて、わたしのキリスト教への熱もどんどん冷めていったのでした。
わたしが愛した教会にも、引っ越して遠くに住んでもなお、遠くから通ってくる信者さんがたくさんいました。
やはりみなさん、「教会ならどこも同じ」というわけにはいかなかったんだろうと思います。
佐藤優氏にとって、キリスト教は学問だったはずなのに
教会を離れて、キリスト教信仰をすぐやめたわけではありませんでした。
ときにお祈りしたり、キリスト教関連の本を読んだりもしてました。
でもわたしの信仰心は、日常生活の中にどんどん埋もれていきました。
教会に行ったり、読んだり祈ったり、忘れまいと懸命に努力し続けていないと、わたしの信仰心はかんたんに自然消滅してしまう程度のものだったんですね。
そのうちキリスト教以外の本を読むようになると、信仰を深める類の本が特殊で偏ったものに感じられるようになってきたのでした。
当時流行ってた『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだとき、わたしのキリスト教信仰はマイブームみたいなもので、ただ熱に浮かされてただけの偽物だったんだと確信しました。
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それに比べて佐藤優氏は、
最初は知的好奇心でスタートしたキリスト教神学の勉強だったが、
いつのまにか、それによってキリスト教の神に引き寄せられ、大学一回生のクリスマス礼拝のときに私は洗礼を受けた。
それから、私のキリスト教信仰が揺らいだことは一度もない。
『ゼロからわかるキリスト教』
と述べています。
佐藤氏の信仰心はどこからきているのか?
わたしと何が違ったんだろう?
と興味を持つようになりました。
佐藤氏のようにキリスト教の知識があったら、すぐ消滅してしまうような軽薄な信仰心にはならなかったのか?
だったらキリスト教は賢い人しか信仰できないことになっておかしいですよね。
佐藤氏の本は基礎知識がないとわからない難しい本が多いんですが、何冊か読んだ今も佐藤氏の信仰心はどこからきてるのか謎のまま。
でも知りたいんですよね。
佐藤氏の本はよくわからなくても知的好奇心がむちゃくちゃ刺激されておもしろいんですよ。いろんなことが知りたくなるし、なんかちょっと賢くなった気分になれる。
何より世の中が冷静に見られるようになって、むやみに不安になったりしなくなるように思えるから好きなんです。
佐藤氏のこうしたすべての本の根底にキリスト教信仰があるに違いないんですよね。
わたしはキリスト教を信じたくて一生懸命になってみたけど、結局信じることができなかった。
ただ信じることがこんなに難しいと感じる時点でどこか間違ってる気がします。
シンプルに神様を信じるってどういうことなんでしょう。
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