生活と感染予防のバランス

seikatsu kansenyobo

Myriam ZillesによるPixabayからの画像

日に日に新型コロナがえらいことになってきた。「騒ぎすぎ」って顔してた人たちも、株価が暴落したせいか、顔色が変わってきたような感じがする。

何かとビビってマイナス思考になりがちなわたしも「ここは落ち着かねば。」と思いながらもついいろんな情報にいちいち反応して振り回されている始末。

感染予防「徹底」「完全」「完璧」より「できること」の積み重ね

医療や介護など最前線の現場が崩壊しないようにするためにも、家庭でできることは全部やろうと思う。

「やったほうがいいんだろうけどできてない」ことは「できること」ではない。心がければできることを全部やるということが大事。

接触感染は手洗いでリスク低減

手洗いは、接触感染のリスクを下げるもっとも有効な手段である。

いつでも手洗いできる環境にいると、かえっていい加減になりがちだ。

手の甲が年齢と共に乾燥し、シワシワになってくると、頻繁に洗剤で念入りに手洗いすることにも抵抗がある。見苦しいこともあるが、皮膚の乾燥は免疫力を下げるともいわれているからだ。しかし、今しばらくはそんなことも言ってられない気がしてきた。ここは多少の乾燥を我慢してでも感染リスクを下げるときなのかもしれない。

かつて家族の中でわたしだけインフルエンザにかからなかったのは、ビタミンCとか睡眠とかストレスの加減もあったろうけれど、家事で水仕事をする機会が多く、たまたま手洗いを頻繁にしているようなものだったからかもしれない。

寝る部屋もひとりだし、ハウスダストでマスクを着用していることも多い。思えば、そんなちょっとしたことの積み重ねで感染を免れていたのかもしれない。

ちょっとしたできることの積み重ねは馬鹿にならない。

買い物は週末だけ

買い物は、週末にオットと車で出かけるのが習慣になっている。

若い頃は、平日にも自転車でちょくちょく買い物に出かけていたこともあったが、最近はすっかりおっくうになって外出しなくなった。

外出すれば支出も増える。節約の意味もあるが、出不精というのが優っている。

今回この行動力のなさが幸いしている。

社交性の低さが幸いに

社交性のなさも今回に限ってはプラスに働いた。

健康麻雀教室は3月休講になったけれど、休講にならなくても休むつもりだった。まだ県内で感染者がいない時期で、今のような緊張感もなかったが、わたしはすでにマイナス思考で、感染するのも感染させてしまうのも嫌で避けたかったからだ。

わたしも50代でじゅうぶんハイリスクな年代なのだが、健康麻雀教室の生徒はみな高齢者である。中には行動力のある人もいて、あちこち旅行に出かけているという人もいたし、家族を介護しているという人もいた。そんな中、密接して接触するリスクの高い集まりにはどうしても参加する気になれなくて、休むつもりでいたのだ。

直前に休講の知らせが来たときは、ホッとした。

町内の総会も中止になることを願っていた。これは休めない集まりだからだ。しかもやっぱりほとんどが高齢者である。どうなることかと思っていたが、学校も休校になり、日に日に世の中の自粛ムードが高まって、突然中止ということになってホッとした。

  1. 換気が悪い
  2. 不特定多数が集まる
  3. 接触のおそれがある

といった要素が重なることを自粛する今回の行動制限は、わたしにとっては何てことないことだ。日ごろ悩んでいる行動力と社交性のなさがこんなところでプラスに働こうとは思いもしなかった。

とりあえず生活と感染予防のバランスをとりながら、できることをやって乗り切りたい。

ガーゼがなくてもマスクは作れます♪

 

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