コロナウィルス対策大げさ? それとも楽観過ぎ?

oogesa rakkan

中国地方で初の感染者が確認された。3月の健康麻雀教室も休講になり、周辺の学校も休校になった。

そんな中、中高生がカラオケショップやゲームセンターに集っているといった報道。娯楽施設が少ない地域にいると実感がない。むしろ高齢者が多いパチンコ店のほうが心配だ。

日本の情報技術に不安

香港や台湾、韓国と比べると、日本の今回のコロナ対策は緩い。後手後手ととるか、妥当ととるかは立場によって異なっている。

マスクやアルコールが不足して医療や介護現場に支障をきたしていると聞くと、何とかもっと事前に備えることはできなかったのかと思う。いつまでたっても整わない検査体制にはほんとがっかりする。

台湾はマスクの品薄や転売を防いでコントロールしているほか、感染者の把握が完璧で、早々に封じ込めに成功しているという。韓国のウィルス検査は日本と桁違い。

各国は過去に感染症で苦労した経験が生かされているからだというが、ほんとは情報技術の差ではないかと疑っている。

日本は紙の情報管理もずさんだし。

この調子でほんとに収束するのか心配になる。

トイレットペーパーの空の棚を見ると、先進国だなんて恥ずかしくて言えない。

失敗を追求しても仕方ない。今からできることをやろう!

現場の皆さん、応援してます。

個人の生活防衛でできること

コロナ対策について、大げさでむやみに不安をあおっていると言う人がいる一方で、今思い切ったことをしないと、かえって大損害になると言う人もいて、世の中大騒ぎ。

医療現場や介護現場、経済社会、学校現場、さまざまな事情や不安が渦巻いている。混沌とした現状はしばらく改善しそうにない。

日本国民として、労働者や事業主として、家族のひとりとして、個人として、それぞれのシーンで経済活動と感染症対策との折り合いをつけないといけない。

要請されて何となく動くより、自分なりに納得できる折り合いを模索する姿勢でいたほうがいいかもしれない。

個人が生活防衛を考えるとき、最優先すべきは健康維持であることを間違えてはいけない。ついお金や仕事を優先してしまいたくなるのが今の世の中の風潮だからだ。

社会は、経済活動がスムーズに回ることで平安が保たれるようにできている。個人は、そんな社会に依存して暮らしている。しかし社会は、個人が困窮しようが病気になろうが回れば万事よしという側面も持つ。

個人はそんな社会と折り合って暮らしているのだ。できる範囲で健康を維持し、非常時が過ぎるのを持ちこたえる必要がある。

社会活動をするときは、個人として身を守る意識を持ち、できる予防は何でも積極的に行いたい。と言っても、望むとおりにはできないことも知っておきたい。頻繁に落胆するのはからだに毒だからだ。

休校になった子どもの預け先で濃厚接触が疑われるなんていう本末転倒事例が後を絶たない。出先で手洗いや消毒を徹底的にするにも限界がある。どっちがマシか、どっちが健康を損なうリスクが少ないか、どっちが平時に戻るまで健康を維持しやすいか、その場その場でまめに損得勘定するしかない。

神経質になって病気になっても困る。不安も楽観も過ぎるのがよくない。完璧や極端を目指すのも要注意。すべては折り合いなのだ。

病気による生活破綻を避けるために、それぞれができることをする。それが今個人ができる最大のリスク管理だと思う。

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