言い訳しないで謝るリスク
筆者も大昔の学生の頃、外国では気軽に謝ってはいけないと聞いたことがあった。「ごめんなさい」と言ったが最後、悪いのはすべて謝った者とされてしまうという。当時は「へー、そんなものか」ぐらいに思っていたが、この頃は日本でもやたら説明責任とやらを問われる。これはきちんと言い訳しろってことではないかと思う。
ただ何よりも先に、とにもかくにも謝罪の気持ちを表すのが日本の礼儀というか、そのほうが好感が得られやすい。だからだろうか「すみません」や「ごめんなさい」を、ほぼあいさつのように口にする。何となく腰の低い謙虚な印象を演出することができる便利なことばだからだ。
時間に遅れた理由を説明しようとすると「言い訳するな」と怒られることがある。この頃は、待たされたほうが遅れた理由をあれこれ詮索するほうが無神経ととられる可能性すらある。とにかく「ごめんなさい」と謝れば、その場はまるくおさまったことになる。
ところが遅れた言い訳をしないで謝る日本人の友人に、もやもやしたというフランス人の話を読んだ。フランス人的には電車が遅れても、目覚まし時計が鳴らなくて寝坊しても、それは自分のせいではない。つまり時間に遅れたけれど、自分は悪くないから謝らないという理屈になるのだ。そんなことより待たせた相手に遅れた事情を説明しないことのほうがよっぽど不誠実ととられるらしい。
一方、日本では目覚まし時計が鳴らなかったのはもちろん、時間に余裕を持って出なかった落ち度は自分にあると考える。だから悪かったと謝る。もちろんいちいち言い訳しない。
日本人は「わたしが悪かった。だから殺さないでくれ。」と言うが、異国人は「わたしは悪くない。だから殺さないでくれ。」と言うとか。
口癖のように謝る日本人は、容赦なく殺されてしまうリスクがあるのだ。
スポンサーリンク
謝罪と言い訳
日本人はあいさつのように「ごめんなさい」と謝る。ところが、とくに欧米人にとって謝罪とは、神に対する行為なんだとか。はるかに重い。だから軽々しく謝らないのがふつうらしい。謝るからにはそれ相応の重い十字架を背負う覚悟がなければいけないらしい。日本人には少々わかりにくい。だからそんな異国人に対し、いつもの調子でうっかり「ごめんなさい」と言って大変な目に合ってしまったエピソードが絶えない。
また言い訳は、これまで日本では潔くない悪い印象のことばで使われることが多かったが、理屈で説明するという意味で、いわゆる説明責任を果たさねばならないときには重要なことになりつつある。
言い訳をおそれない
日本人どうしでも、家族であっても、親しい間柄でさえ、じつは通じ合えないことのほうが多い。だから人づきあいはむずかしいし、悩みの種になっているのだ。たとえ通じ合えなくても、今後もずっとつき合い続けたいと考えるときは、言い訳を恐れてはいけないし、おっくうがってはいけない。
自分の事情を説明し、どういうつもりだったかを説明し、これからもつき合っていきたいと伝えなければ始まらない。わかってくれるかわからない。怒り出すかもしれない。ただ誠実に言い訳すれば、相手もどこが理解できなくて、何に腹を立てているのか説明してくれるかもしれない。
人づきあいは、言い訳に始まり、言い訳し続けることでようやくつながれる、めんどくさいものなのだ。
合わせて読みたい関連記事
スポンサーリンク