このごろ何かと損益分岐点が気になっている。
たとえば洗濯。回数を増やしてこまめに洗う方がいいか、洗濯機の容量いっぱいまとめて洗った方がいいか。衛生をとるか、衣服や水の消費を抑えて環境を優先するか。
衣服は洗い替えをいくつか持つのがいいか、少ない量でとことん着つぶすのがいいか。
冷暖房は、どのくらいならつけっぱなしがいいか。
炊事はどの程度手間ひまかけて自炊して、加工食品はどの程度利用するのがいいか。食材の品質はどこまでこだわったほうがいいか。
お金で時間や手間を買った方がいいのか。多少時間や手間をかけてでも支出を減らすべきか。
場合によるというのはわかるが、今のわたしの場合はどっちがいいのか? いつも迷う。
手間ひまをお金で買うセンスなし
古いのか。
わたしはどちらかというと手間ひまをお金で買うのが苦手である。いまふうにいうと非常にタイパが悪い。
はじめてワードプレスを始めたとき、アフィリエイトやアドセンスを始めたとき、あまりに知識がなさ過ぎて、手間と時間をかけまくってここまできた。もちろん途中、お金に目がくらんで、怪しげな情報商材にまんまとひっかかりもした。けどそういうノリにはついていけなくて、けっきょく我流に戻ってきた。
時間がかかってめんどくさいことや、ちょっと難しいことを学びながら自分でやろうとすると、その界隈にはかならず「プロにおまかせが無難」とアドバイスする者があらわれた。「プロにお願いするお金なんてないなあ」と悩んでいたら、すかさず「かんたんにできるテンプレート」だの「サポートカウンセリング」といった魅力的なサービスがつぎつぎ目に入って来た。またしてもふらふらっと迷いが生じることも一度や二度ではなかった。
しかし、幸か不幸かお金をかける余裕がないので、しかたなく自力で調べながらやることが多かった。おかげで効率悪く、時間ばかりかかっていつまでたっても一人前になれないでいる。
回収できる見込みのない支出は投資とは言わない。しかし先行投資できない者はいつまでたっても成功しないとそそのかされる。投資しないなんて愚かだとささやかれる。そのお金が投資になるか消費になるかは使ったあとにならないとわからない。もしかしたら当たるかもしれない宝くじと同じだ。
されど人生、そもそもギャンブルみたいなもの。手間ひまをお金で買うのは当然ありだと思う。
ところがわたしにはそのセンスがまるでない。
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急がば回って寝て待つしかできず
たまに手間ひまをお金で買っても、それをうまく利用することができないことが多かった。だから資金が乏しいのはかえって幸運だったと思うことにした。
自力で調べながら苦労して新しいことをおぼえるのは、案外楽しいこともあった。効率が悪過ぎると言われたら、返す言葉はないけれど、自力でお金をかけずに何とかしたときの喜びや充実感はなかなか得難い。ちょっとした自信にもなった。
オンラインの作文教室にたずさわったのをきっかけにブログを始めるようになって、読み書きの仕事ができたらいいなあ、と漠然と思い出したのは、それから何年もたってからだった。その思いがじわじわ育つのに、さらに時間がかかった。何をするにも時間を要した。
ここにきてようやく、負け惜しみのようだが、ゆっくりマイペースで身につけてきたことに無駄なことはひとつもなかったと思える。スピード感のないわたしがF1カーに乗れたところで、どうせ操作不能の撃沈がおちである。途中のねたみやあせりも含め、全部必要な時間だったと思うことにしている。
これぞ年の功か。
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