不安は「不足」と「喪失」に集約される。
断捨離やましたひでこさんの『捨てる』を読んで知った。
なくてもあっても、人は不安になるものみたい。
「小さな暮らし」で、身の丈に合った管理可能なちょうどいい量をわきまえる。
この世の2大不安を軽減することにも役立ちそうです。
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【小さな暮らし】「補充できるとは限らない」という不安はキリがない。
シンプルな生活ができる人は必要以上にモノを持たない。
そのうえで防災グッズや非常時の食料品を常備しているのだろうか。
足りなくなったら補充すればいいというけれど、欲しい時に手に入るとは限らない。
近所で一番安いスーパー、バターがしょっちゅう品切れする。いつからか、見れば必ず買うようになってしまった。
でも、停電や断水などの非常時用に物資を保管するところまではとても手が回らない。
考えてみれば、バターがないより水がないほうが深刻である。
バターの補充はせっせと怠らないくせに、非常時の備えは「そうなったらなったとき」と割り切ってしまうのはどういうわけか。
わたし自身、阪神淡路大震災の被災経験がある。直後しばらくは防災準備に凝ったものです。一年ぐらいは電気を消して寝られなかった。
そのうち災害時のことを考えるのにだんだん疲れてきて、気づいたら考えなくなっていた。
防災グッズをところせましと常備している人を決して笑うことはできない。
安心のしどころはみな違う。
「足りなくなるかもしれない」という不安はいい加減なもの。
足りなくなったところで、大半は命が奪われるところまではいかない。
でもその不安によるストレスは、命を蝕むおそれがあるから馬鹿にできない。
「小さな暮らし」はモノを減らせばいいというものではない。
「持たないもの」を選ぶこと。
断捨離やましたひでこの『捨てる。』を読んで、わたしが捨てたい3つのモノ
【小さな暮らし】「なくならないものはない」と知る。
今あるものを「失うかもしれない」という不安は、生きてる限りきっとなくならない。
「失うものがない!」というほど強いことはない。
その境地まで行けなくても、「なくならないものはない」と覚悟すると、失う不安がちょっとだけマシになる気がする。
永遠になくならないものなんてないのだ。そして何でも終わりがある。
「なくなったらどうしよう。」「どうかなくなりませんように。」などと必死に拝んだところで、なくならないものはないのだ。
そしてどんなことにも終わりがある、そう思うと、こんどは救われるから不思議。
今を大事にする気持ち、そんなとこから生まれるのかも。
「小さな暮らし」はモノにしがみつかない。今あるモノと暮らすこと。
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