興味そそる失踪ミステリー

映画『市子』と宮部みゆき『火車』もう一つの共通点

『市子』と『火車』のヒロインは戸籍を得ようと犯罪に手を染めるという点で似ている。だから『市子』を見たとき『火車』のヒロインを思い出したのだと思っていたが、それだけではないことに気づいた。両者は物語の王道のひとつである失踪ミステリーなのだ。

ある日突然、姿をくらます。筆者はどうもこういうのに弱い。え? 何で? と思わずにはいられない。消息を突き止めたくなるし、理由が知りたい。そして今どうしているのか?

おもしろそう、と目に留まる話には、かなりの確率で謎の失踪がある。なぜこんなにも失踪ものに弱いのか。ほかの人もそうなのかしら。

スポンサーリンク

謎は謎のまま

謎がすべてすっきり回収されると気持ちいい。推理小説はそうあるべきだという説もある。しかし、どこまでどんなふうに説明するかは難しい問題だ。

映画では市子が冬子と北を殺している場面はない。小説『理由』でもヒロイン喬子が関根彰子やその母親を殺したかどうかはっきりしない。それでも想像させるから震撼とする。もし一から十までわかりやすく説明されてしまったら「ああそうですか」と興ざめしたかもしれない。

難解にならない程度、想像力に委ねるという絶妙なさじ加減がおもしろさにつながっている。

ところで失踪でいうと、もう一つ心に残る作品がある。山本周五郎の『その木戸を通って』(1959)。日本文学100年の名作第五巻に収録されている短篇である。

どこからともなく現れた女性がまたふといなくなってしまったというだけのお話。はじめから終わりまで謎は謎のままでまったくすっきりしない。それなのに何とも言えない味わいと余韻が残って永遠に想像をかきたて続けている。

これはこれで嫌いじゃない。

合わせて読みたい関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください