作文教室では意見文の書き方を練習することがある。
作文にする都合上、いずれかの前向きな意見を決めて書く。そのほうが書きやすいからだ。テクニック習得の便宜上、書きやすくする方法である。嘘とまでは言えないものの、個人的にはなんだかもやもやしないでもない。世の中はどちらともいえないことだらけだからだ。
アンケートに「どちらともいえない」というのがあるのは日本語だけだと聞いたことがあるがほんとだろうか。
日本語はあいまい表現が得意?
オーストラリア在住の生徒が興味深い話をしていた。英語で話すときは、ものごとをはっきりシンプルに発言しても、そのまま受け取られてあと腐れがなく、あっさりしていられるが、日本語の場合は、相手の内心まで想像してことばを選ばないといけない。その分、親密な関係を築きやすいというのだ。
そういえば、言葉遣いで性格が変わるという人も珍しくない。確かに乱暴な言葉遣いをしていると、振る舞いも乱暴になりそうだし、おしとやかな言葉遣いをしていると、上品な女性になった気分になりそうである。
ことばというのはふしぎなものだ。
わたしは日本語以外使えないので確かなことは言えないが、日本語は情緒豊かな表現がたくさんあるために、あいまいで微妙な表現ができてしまうのではないか。だから一方的で単純な表現を嫌い、遠回しでどっちつかずな表現をしたがるのかもしれない。常に揺れ動いている心をありのまま表現できるという意味で、日本語は正直者の言語と言えなくもない。
意見文の不自然さ
ブログ記事についても、意見ははっきり白黒つけたほうがよいとされている。どっちつかずのあいまいな表現は信用されないというのだ。
なるほどそういうものかと思った時期もあったが、無理にはっきりさせなくてもいいのではないか。最近はそう思うようになった。ああだろうか、それともこうだろうか、と思い巡らせている状態のほうがむしろ自然ではないか。
意見表明だけが記事ではない。こういう意見もあればああいう意見もある。ただ並べて紹介するのも立派な記事だ。意見を持つことがあまりに重視され過ぎてる気がする。わたしは五感で感じたもの同様、定まらない思考を大事にして表現したい。
わかりやすく書くことと誠実な表現とは必ずしも一致しない。なるだけ誤差を出さないように書くのが腕の見せ所だと思う。
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