糸井さんが「ほぼ日」は多くの部分、手仕事でできてるといったようなことを述べていた。
一緒にするのはおこがましいが、わたしのブログや教室は手仕事だけでできている。
ぼくらのやってきた仕事は、どちらかと言うと、昔風の農業なんかに似てる気がする
とほぼ日のことを糸井氏は表現しているが、それをいうならうちは正真正銘の小作農である。
手仕事は儲けようとしたらできないかも
2018年からつけている「ほぼ日5年手帳」には、お金がないとか、儲けたいとか、どうしたら稼げるか、といったお金の愚痴や嘆きがあまりに多いのに呆れる。
ブログに人を集める方法とか、ウエブマーケティングといったようなことを一生懸命かじってみようとした時期もあったけれど、どうにもなじめなくて、その頃はほんと楽しくなかったなあ。
だけど主婦として家計は無視できない。お金がほしいという気持ちがぬぐい切れず、あれこれと迷走してしまうのも仕方ない気もしている。
しかし、楽しくなければ続かない。わたしは残念なことに、効率が悪く、たいして儲からない手仕事が好きみたいだ。だったら楽しく長く続けられるように、赤字にならない工夫に努めようと決めた。
儲けたくないわけじゃない。「そんなことしてたら儲からん」そんなようなことが好きみたいなのだ。
何を大事にして仕事をするか? どこに資本を投じるか? わたしの好きな手仕事は、儲けようと思うとできなくなる。資本には限りがある。そこのところの折り合いをつけて、どうにか回していくのが仕事なのだと思う。
読書・作文教室みのりのこと
オンライン教室の作文講師の経験と資格を活かして、地元で教室を持ちたいと思ったのだけれど、思い切った営業もできず、自宅を教室にする覚悟もできないままぐずぐずしていたら、ときどきオンラインの問い合わせが来るようになって、結局オンライン教室を始めることになった。
そうこうしている間にコロナで、マイナーだったオンライン教室が注目されるようになってきた。もうオンラインでいいか、という感じである。
ただ、グループで効率よく教えるスタイルには抵抗があったので、うちの教室は個人レッスンが基本。ゆっくり時間をかけて知り合い、その人に合ったペースを作るようにしている。そういうことが自由にできるので、わたしの場合、独立してひとりでするほうがずいぶんやりやすくなった。
オンラインスクールの講師としてクラスを担当すると、生徒を把握しきれないし、ほかの先生のやり方にも配慮しなければならない。課題も評価の方法も自由にはできない。当然利益を出さなければいけないので効率も求められる。要領の悪いわたしにはついていけないところがいろいろあったのだ。
わたしの教室はオンラインというだけで、やり方は昔ながらというか、古臭いと思われるかもしれないが、個人重視のやり方である。というのも、作文は、そもそも個人的な作業だからだ。
受験対策とか就活用といった作文も希望があればやるけれど、何にでも通用し、生活の質向上と楽しみにつながる作文力を育てるサポートをしたいと思っている。そのために、読書・作文教室としているとおり、読書にも力を入れている。
読書はひとりで読むだけでも楽しいが、読んだ本を紹介したり話したり書いたりすると、思いがけない発見があったりして、より楽しいものである。映画とかドラマ、漫画なんかについても作文することをすすめている。
と、こんな感じでわたしの作文教室は手仕事そのものだ。赤字にならないぎりぎりの線まで知恵を絞って精一杯の手間をかける。
そこに楽しみがある。
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