シンプル志向の果てに

simpleshiko hate

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

ものが少ないと片づけも掃除もラクになる。せっせといらないものを捨て、持ち物を厳選し、すっきりした生活に憧れていたら、何だか頭の中までシンプル志向に侵されている。

何でも単純に簡素化してわかりやすくしようとしてしまうのだ。

これまで、頭の中がすっきりして、思考がシンプル化するのはいいことだと思っていたのだが、それはそれで気持ち悪い違和感を覚えるようになっている。

難しいことを簡単にしようとして

世の中も頭の中もほんとはごちゃごちゃしていてややこしい。

だからこそ断捨離の片づけのように、無駄なこと、めんどうなこと、ややこしいことを簡素化し、解決したいと願う。

しかし、シンプルを突き詰めて簡素にしようと思えば思うほど、どういうわけか損得、善悪、正誤といった単純な価値観のチャートに当てはめて、わかりやすく見える化するような方向に進んでいくのだ。

はじめはそれがおもしろかったりした。明快でわかりやすい。なんだ、わたしはAタイプだからこうすればいいのか。といった具合に簡単に答えが導き出される。なんだか血液型占いみたいだ。

そうすると、自分に利益をもたらし、かつ思考が同じ者とのつき合い以外、非効率で無駄といった結論に集約されることに気づいた。どこでどう間違ってしまうのか。

シンプルがシンプルを呼び、その志向はだんだん極端に傾倒してしまうようだ。

シンプルは多様化を許さない。今頃そんなことに気づいた。

シンプルは間違いか

ごちゃごちゃしてややこしいこと、難しいこと、複雑なことはシンプルにすることはできないのか。シンプル化は間違いなのか? それはそれでまた極端な気がするけれど。

ごちゃごちゃした部屋で難しいことを考え続けている学者や研究者もいるよなあ。頭の中は片づいているのかな。

少なくともシンプルにそぎ落とすまでに、複雑な段取りが必要なのかもしれない。きっと画一的なチャートに当てはめれば解決するようなことではないのだ。

それだけ世の中も頭の中も複雑なのだ。まずはそのことを受け入れたい。

だからごちゃごちゃしてめんどうな頭の中も、複雑でわけのわからない世の中も、そのまま受け入れることから始めようと思う。

シンプル化して整理して洗練するまでに、きっと多様な思考やものごとと向き合い、試行錯誤し、折り合ったり決別したりする混迷の過程を省略することも切り捨てることもできないのだ。

そうやって変化し続けるものなのかもしれない。テクノロジーもまた、そうした混迷期をより効率的にやり過ごすべく変わり続けているのだ。

結局いつでも混迷期ってことか。

疑問符と「かもしれない」話ばかり。これが今の正直な心境。

シンプルに疲れて、ごちゃごちゃした部屋が落ち着く。そんなときもある。

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