神様みたいなお人好しはいなくても

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この世知辛い世の中で、ときどき神様みたいに人に尽くす人がいて驚かされる。こういう人は、界隈では有名だが、割と地味で知らない人も多い。

岡山県で不動産業を営んでいる阪井ひとみ氏もその一人。

わたしがこの方を知ったのは、NHK岡山放送局のドキュメンタリー番組をたまたま見たからである。おそらく中国地方でしか放送されていないと思われる。

住宅弱者にとことん寄り添う不動産屋のおばちゃん

阪井さんは、精神障害者や高齢者、刑務所を出所した人など、住まいを見つけるのが困難な人の住宅をいっしょになって探すだけでなく、身の回りの世話までこなす。

たとえば、住むところが見つからず、精神病院でしか暮らしたことがなかった女性にアパートを提供し、ご飯の炊き方を教え、部屋の片づけや掃除をする。またあるときは体調を崩しても入院すると住まいがなくなることを心配し、病院に行きたがらない高齢者の通院に付き添い、またあるときはやっと見つけた仕事を失った障害者の話に耳を傾ける。

いったいこの人はどうしてこんなことができるのか?

たまたま選ばれてしまっただけかも

たまにこうした神様みたいな人がいる。

アフガニスタンで井戸掘りの活動をしていた医師の中村哲氏もそうだった。

どんなにすばらしいことでも、実際にやろうということにはならないことが多い。何の得にもならないし、それどころか厄介ごとが増えてめんどくさいだけだったりするからだ。

阪井さんも一般的な不動産業をしていればもっと楽に暮らせるだろうし、中村さんも日本でふつうに医師をしていれば、殺されることはなかった。

それなのにどうして?

こういうとてつもなく偉い人を見ると、人格者だからとか、人間の出来が違うからと言って済ませがちだ。自分とは違う特別な人だからできるのだと思いたいのかもしれない。こうして自分がやらない言い訳をしてしまう。

確かに阪井さんは人柄もよく、能力も優れて素晴らしい。でも、人柄が良くて能力が優れている人はほかにもたくさんいる。

もっと人柄や能力も及ばない力が働いてる気がしてならない。

どういうわけか、そういう道に導かれてしまって、本人もどうしてこんなことをするようになってしまったのか、ほんとのところはわからないみたいな……。悪の道も同じかもしれないけど。

宗教的な表現をすると、神に選ばれてしまった人なのかもしれない。

身の回りを振り返って

阪井さんのドキュメンタリーに見入ってしまったのは、うちにも発達障害の子どもがいるので、他人事ではないと思ったからだ。

将来子どもが住まいに困ったとき、阪井さんのように支援してくれる人がいるだろうか。そんなことを考えていた。

困ったとき、うまい具合に助けてくれる人にめぐり会うとは限らない。わたしも子どもが不登校になったとき、助けを求められずにひきこもった時期があった。

わたしが意固地になっていたときも、あきらめずに自宅に通い続けてくれた学校の先生のおかげで、わたしはスクールカウンセラーの先生と知り合うことができた。

また、子どもがたまたま高熱を出して、救急搬送された病院の医師が親身に話を聞いてくれたことがきっかけで、子どもは発達障害と診断され、医療福祉とつながることになった。

振り返ってみると、すべて成り行きで、たまたま知り合ったいろんな人に支えられてきたのだ。

真似のできないような神わざ級のお人好しでなくてもいい。

困ったとき、ちょっと手を差し伸べてくれるお人好しがそこそこいるから何とかやっていけそう、なんて思える世の中、結構いいと思う。

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