叱ると脳は

shikarutonowa

新聞を毎日丹念に読むわけではないが、書籍の広告や書評、人生相談は見るともなしに目を通す。決して気に入っているわけではないが、うっかり長期の契約をしてしまった朝日新聞の読書欄と人生相談(別冊)は、たまたま同じ土曜日なので、土曜日は比較的新聞をよく見ているかもしれない。

この前、とても興味深い本が紹介されていて、なるほどやっぱりそうだったか、と腑に落ちた。

叱ると脳は気持ちよくなるらしい

臨床心理士の著者、村中直人氏の『<叱る>依存がとまらない』という本についての書評である。

本を読まなくても、タイトルだけで「やっぱりか」と思った人も少なくないのではないだろうか。

「怒る」と「叱る」は違うと、ことさらいう人もいるが、善悪にかかわらず、人を責める行為には快感が伴うという。自分は正しいいいことをしているという充実感からか、それとも優越感か征服感か……。まあいずれにせよ、あまり自慢できる感覚でないことだけはわかる。

しかも、そのあまりの快感に依存症になるというのだから始末が悪い。甘い砂糖やヤバい麻薬と同じではないか。

書評を書いた論説委員もかつて≪下手な裁縫をなじられ、人前で「悪い手本」をやらされた≫小学校の家庭科の先生を思い出している。

それこそ誰にでも思い当たる人物が一人や二人はいそうである。と同時に、自分自身も気持ちよくなった覚えがあるのではないだろうか。

脳はだれかを罰することで心地よくなり、充足感が得られる。結果としてだれかを叱れずにいられない状態に陥る。まだ仮説の域は出ていないようだが、一言でいえば、これが本書の根底にある考え方である。

「叱る」で思い出したが、「ほめる」というのも対等な間柄では行われない行為だと述べているのを読んだ覚えがある。

どんな人とも対等に接することができたら素敵だが、上司や親、教師や先輩という立場になったとき、「上から目線」が必ずしも権力をふりかざす暴力になるとは限らない。

人の脳は分類整理するのに階級、いわゆる上下関係をつけると聞いたことがある。それがおのずと支配欲と結びついていくのか。

脳(からだ)は涙ぐましいほどよく働いている。生きていくのに大事なことは何でもやってくれている。でも、ちょうどいい塩梅にバランスをとるのがどうにも苦手な感じではある。どうやらこうすればいいという簡単なスイッチがあるわけではなくて、すべては微妙で不安定な釣り合いと折り合いの連続のようだからだ。

ちょっとしたことでくじけたり暴走するのが日常茶飯事で、平穏な均衡を保つのには、それなりに努力と忍耐が必要であると自覚したほうがいいかもしれない。

 

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