人との距離感。寂しさとの付き合い方。

kyorikan sabishisa

先日、同世代女性の相談記事を読んだ。

親しい人が一人もいないことに、少し寂しい気持ちと、無理な人づきあいはしたくないという気持ちの間で揺れているといったお悩みが綴られていた。協調性の無さやコミュニケーション能力の低さが原因とも告げられており、何だか他人事とは思えない内容だった。

寂しさとは

回答者は寂しさについて、

寂しさとは孤独、つまり「誰も自分のことを知らない」「誰も自分に興味ない」という感覚から生まれるものだと思います。

と述べている。

「誰も自分のことを知らないところへ行きたい」と悩む人もいる。

自分のことなど誰も気にしない状態を気が楽で快適と思うかどうかはそのときの気分次第のようなところがある。

わたしも家族がいなくなると、まともな話し相手がいない。そうなったときのことを思うと、急に寂しくなる。だからといって、突然社交に努める気にもなれず、相談者の気持ちがよくわかる。

わたしとならいい話し相手になれたかもしれないと思う。

近過ぎない距離感がちょうどいい

人との距離感はみなそれぞれ違うだろうし、気分によっても相手によっても変わるもの。わたしが「ちょうどいい」と思っていても、相手は「水臭い」と思っているかもしれないのだからむずかしい。

どんなにそばにいて親しくしても、相手を理解することには限界がある。

別人として受け入れるために、ある程度の距離をとることは、感情的にならず、平和でいるための一つの方法だと思っている。

ある程度の距離があれば、相手の違うやり方が癇に障ることもないだろうし、自分のやり方を押し付けたくなることもない。「あんなふうにするんだ。おもしろいな。」ですむ距離感を持つことも一つのコミュニケーション能力と言えなくもない。

人づきあいは密であるのが上等というのは幻想かもしれない。

星野智之氏は小川さやか氏の著書『チョンキンマンションのボスは知っている』に描かれている香港のタンザニア商人たちのことを次のように紹介している。

容赦ない騙し合いのアングラ経済の世界で、どんな仲間も信用しない、けれど助け合う姿が活写される。互いに踏み込み過ぎず、貸し借りの感覚を曖昧にすることで、力関係を対等に保ち、だからこそ機能する助け合いのシステムを築いている。

星野氏はこれを

いがみあって破滅に向かうのを回避する知恵

と述べている。

多様な者が多様なまま、もめずに生きていくのに、寂しいなんて言ってる場合じゃないのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください