同居していた家族が家を出たり、自分が家を出ることになったり、家族が亡くなるなど、身のまわりが急変したりすると、寂しく心細くなる。
アドラー的にいうと、環境が変わったから寂しくなったのではなく、環境が変わったのはたまたまで、寂しいのは自分が寂しくなりたいからということになる。
どうして人は寂しくなったり心細くなったりするんだろう?
寂しい理由
涙を流して泣くと、気分が晴れるホルモン? が出るらしい。だから涙が出るような感情になるんだろうか。
だとすれば、寂しいとか心細くなる感情にはどんなはたらきがあるんだろう。
寂しいとか心細いという感情に浸りたければ涙が出るかもしれないが、目の前のことに集中したいようなときは、寂しさを紛らわす意欲的な方向に働くということもありそうだ。
わたしは気分が落ち込んだとき、よく拭き掃除とか鍋磨きをするのだが、気分を晴らすためにやっていたのではなくて、ただ掃除がしたかっただけで、掃除をはかどらせようとして気分が落ち込んでいるとすれば、そんなめんどくさいことはやめてほしいと思うけれど、いったい誰にお願いすればいいのか。
人間は喜怒哀楽の物語が好きだ。何かしらの物語の中に生きていると言ってもいいかもしれない。その物語というのもまた、脳の働きによる電気信号などと言い出せば、感情なんていよいよ当てにできなくなる。
絶対笑ってはいけない場所でおかしくなったり、愉快なはずが泣けてきたり、実際感情というのはいい加減というか、よくわからないものだ。何かのはずみで「寂しい」スイッチが入ってしまうだけのことなのかもしれない。
でも、それでは気が済まない。ほんとは理由も何もないのだけれど、何かしらの物語に仕立てるのに都合のいい感情がわいてこなければ、人間味に欠けるではないか。
「かもしれない」のオンパレードで恐縮するが、最近のわたし、「感情なんて信用できない」という物語にハマっているのでご容赦を。
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