先日、子どもの予定の変更を知っていたのに忘れてしまい、聞いていないと大騒ぎした。後になって、すっかり忘れていた自分にショックを受けた。無意識にものを置き忘れて、あちこち探し回ることもしばしばある。
頭痛もちで高血圧家系、認知症リスクはかなり高い。
配偶者はわたしの認知症リスクをおそれ、定期的に検査をして、予防したほうがいいのではないかなどという。わたしも配偶者の認知症は正直考えたくない。心配を通り越しておそれる気持ちもよくわかる。
認知症はあたりまえ
予防に努めるにも医療費がかさみそうで憂鬱だ。
自分のことだけで精一杯の発達障害の子どもをサポートするどころか、将来負担をかけるかもしれない。そう思うとますます不安になる。
そんなとき「年をとったら頼りなくなって、負担をかけるかもしれない」と子どもにふと漏らした。
すると「年をとればあちこちガタがきて、できなくなることが増えてくるのはあたりまえ。老化で認知症になったら、機嫌よくどうにか暮らしていくことが大事で、絶対認知症にならないようにしないと、って考えるのはしんどい。」と言われた。
現実はいろいろあって難しい。経済も健康も人間関係も思うようにはいかない。
迷惑をかけない人にならねばならないと教わってきたわたしは、迷惑をかけない人はいないということを子どもから学んだ。
発達障害を持つうちの子どもは、いろんな人がいて、助け合って生きる重要性を実感として知っている。だからみんな、それぞれできることをすればいいというし、困ったちゃんも含め、いろんな人がいたほうがいいという。先進的な多様性をすでに身につけているようなのだ。
なんだかふっと気持ちが楽になった。
迷惑をかけるのがうまい人っているよね。甘え上手なのか、世話好きやおせっかいと仲良くするのがうまいのか、憎めないキャラクターのせいか、ただ幸運なだけなのか……。でも、結局お互い様だったりもする。
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