むずかしい問題というのは答えがないんですよね。
いろんな人がばらばらの立場でいろんなことを言います。
そのときどきに優勢な答えがあったとしても、それは1+1=1のようにクリアな正解とは違う。
なかにはまったく逆の答えがあることも珍しくありません。
こうした「答えがない」状態、「めんどくさい」し「疲れる」し、「どうせわからない」「考えるだけ無駄」という理由でないことにして過ごしてません?
わたしはついやってしまいます。
でもそれ、老化を早めてます。
【答えのない問い】新鮮に感じられなくなってる証拠
時代も環境もどんどん変わっているので、おとなだって子どもと同じように、知らないことや新しいことが次々発生している。
でも長く生きていると、知らないことに慣れてくるんですね。
「めんどうなことになりそうだからわからないふりしとこう」なんていう知恵も出てくる。
これまでの似たようなことがらに当てはめて、わかったつもりなることもあります。
答えがない問いは、たいてい「めんどう」か「やっかい」のどっちかだから、なかったことにするのが得策だと考える人も少なくない。
というわけで答えのない難しい問いを無視するのは、慣れてしまって新鮮でなくなってる証拠のあらわれなんですね。
限られた時間を無駄に過ごして老化をはやめている
「チコちゃんに叱られる」の解説によると、おとなの時間がはやく流れるのは、子どもほど、おとなはものごとに感動しなくなっているからなんだとか。
先に書いたように、新鮮味がなくなってしまってるんですね。
先日オットが「次の休みまで早く過ぎてほしいと思いながら毎日を過ごしていると、平日がないことのようになっている」と嘆くのを聞いて、わたしも切なくなりました。
早回ししたくなるようなときもありますよね。
なかったかのように捨てる時間もまた、いつかはなくなる貴重な時間。
早回しするようにただ消費するだけの過ごし方をしていたら、老化も早まりそうです。
【答えのない問い】考えなくなったら・・・
答えがない問いはめんどうだから無視するという背景には、いつでも何でも便利に解決することに価値があるという価値観があります。
そうなると、答えがないものが存在すること自体考えたくないストレスです。
でも、答えがないことにストレスを感じるなんて思いあがりですよね。
ほんとは答えのない問いのほうがたくさんあって、答えなんてないのがあたりまえなんですから。
「ああだろか、こうだろか」と考えるのが人間の仕事の一つだと思うんですよ。
それをしなくなったらその働きは衰えますよね。
答えのない問いは、必ずしも答えを出すことが大事じゃない。
悩み続けることが生きる力だったりするわけで、それを自ら手離すようなことをしたら、そりゃ老けます。
答えのない問いは、無視してなかったことにしない。
それが大事。
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