父に会いに大阪に行った。県外に遠出するのも両親に会うのも数年ぶりである。
施設で看取り
父は三月末から高齢者施設でお世話になっている。その間、発熱で入院したり、コロナの影響で面会が制限されたりして認知症が進んでしまったようだ。
最近また熱を出し、病院に入るか施設に残るかを決めることになり、施設に残って看取りに入るという知らせが届いた。
施設では積極的な医療行為はできない。父は胃ろうをしておらず、呑み込む力がほとんどないらしいので、流動食ですら食べられない。このまま徐々に弱っていくのを待つ。それが看取りの段階ということだ。
痰が詰まって苦しそうで、いつ何があってもおかしくない。そんな話を聞いて、不謹慎なことに、わたしは喪服やら帰省の段取りに思いを巡らせていた。
わたしは父が元気で憎らしいときの姿しか思い出せない。老いた写真をいくら見ても、電話でまともに話ができなくなっても、現在の姿がピンとこないのだ。
母の介護の苦労も知らない。嫌なところをまったく見ずに過ごせたのだ。話を聞いて、さぞたいへんだろうと思いやるぐらいのものである。母を始め、お世話してくれる家族や施設の関係者には、ただただ感謝しかない。
これが長年離れて暮らしてきた距離感というものなのか。
我ながら冷静で、ときどき残酷だなあと思う。
葬式より見舞い
ここ数日、いつ大阪に行かなければならないかと思うと落ち着かなかった。日常が上の空になって、何もかもがめんどくさくなったりした。父の心配どころではない。
なんと自分は薄情なのかと我に返り、その負い目をごまかすように、父と二人で映画に行ったときのことや、父の里帰りについて行ったときのことなんかをやたら思い出す。
三人きょうだいの中で、一番ひっぱたかれて怒られたのが真ん中で一女のわたしだった。とくに帰宅時間に厳しかった。今なら虐待だなぁ、などと振り返る。
人というのは悲劇と喜劇が入り混じった中で暮らしている。深刻な時ほど笑ってしまったり、突然わけもなくおかしなことをしでかす。所詮、自分の身の回りのことしか考えが及ばない。
このところの自分の落ち着きのなさに、伊丹十三監督の映画「お葬式」を連想する。そういえば、この映画も父と観に行ったかもしれないが、思い出せない。
そんなとき、配偶者が
「葬式に行くより、今すぐ生きてる間に会いに行ったほうがいい。」と言い出した。
配偶者は父を若い頃に亡くしている。「骨なんか拾いに行っても仕方ない」と言うことばには妙に説得力がある。
確かにそうかもしれない。そう思ったが、突然の話の展開に頭がぐるぐるしていたら、子どもが土曜日の日帰りなら同行したいという。
具体的な段取りが追いつかないまま急遽、帰省する方向に決まったのだった。
父に会ってよかった
看取りに入った父とは、いつでも面会できることになっているようだ。
父は写真で見るよりずっと元気そうだった。父は肌がきれいと評判で、きれいな顔をしていた。鼻の頭にビー玉をくっつけたような団子っ鼻だったのだが、痩せこけてシュッとしたふつうの鼻になっていた。
話せないし、表情もないと聞いていたが、わたしが一方的に話をすると、うっすら笑って起き上がろうとした。ぼんやりしている目も時おりしっかり合うではないか。何か言いたげだ。
これは完全にボケてないのかもしれない。少なくともときどき正気に戻る瞬間がありそうだ。
ほんとのことはわからないけど、父も喜んでくれているように見えてうれしかった。
施設の介護はとても行き届いており、ほんとにありがたかった。関係者の皆様、ありがとう。
これが最期かもしれない気がしなかった。
行ってよかった。
でも、ひさしぶりの大阪も新幹線も疲れた……。
街中に、これほどときめかなくなろうとは。
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おかしさん、お父さんご心配ですね。わたしも92歳の母が8月に脳梗塞で倒れて今入院中です。倒れる前から認知症が悪化してきていましたが、脳梗塞でさらに進行し、私のことが全くわからないばかりか口に食べ物を入れられてもそれが食べ物だと認知できないために飲み込むことができません。入院以来鼻腔栄養のみで、食べる訓練をしてもらっていますが可能性は低そうです。鼻腔栄養のみだと入れる施設も限られているそうです。胃ろうにすると施設にも入りやすいそうですが、胃ろうは考えていません。身内が看取りの段階に近づいてきて初めてわかる仕組みもあります。母はまだ看取りの段階とは言われていませんが、いつ急変してもおかしくないと言われているので、仕事中も夜中も携帯電話が手放せません。毎日落ち着きませんよね。お気持ちお察しいたします。お体に気をつけてお過ごしください。
書き忘れましたが、配偶者様の葬式に行くより生きているうちにあっておく方がいいという一言は重みがありますね。思いきって息子さんと一緒に会いに行かれて本当によかったと思います。
つぶあんさん、いつもメッセージありがとうございます。
つぶあんさんとは本当にいろいろ似ているところがあって、いつも励まされています。
じつは今朝、父が亡くなったと知らせが来ました。
いつ何があってもおかしくなかったので、覚悟していたつもりでしたが、
それでも思いがけず早い気がして動揺してます。
看取りというのは難しいもので、いろいろ考えさせられました。
当事者重視と言われ、残された者は何をやっても後悔し、あれでよかったのか、もっと何かできたのではないか、
などと思い悩むこともありますが、父はもうすべて受け入れていて、どうにでもしてくれと言ってくれてたような、
そんなふうにわたしなんかは都合よく考えています。
メッセージ、ありがとうございました。
つぶあんさんもお体ご自愛下さいね。