人と会って話をすること、旅行、食べ歩き、観劇・観戦などなど、たくさんの楽しみがやりにくい時代になってきた。
でも、読書に作文、テレビドラマを見たり、拭き掃除に洗濯が趣味のわたしなんかは相変わらずである。
人づきあいが下手というか得意でないわたしは、不利というか人として駄目なイメージが強く、かなり劣等感があるのだけど、このコロナ禍で、人と会わなくていいのはむしろありがたい、などと言ってはばからない人もちらほらいることを知って、心強く思う今日この頃。
ひとりでできる表現の趣味
ひとりでできる趣味があるといい。やりたいときにいつでもできる気楽さは、長く続けることにつながる。
なかでもコロナ禍の今、おうちでできる読書や作文は、我ながらいい趣味だとあらためて思う。
というのも、高齢で離れて暮らす母の話によると、年をとってくると、ゆっくり話をする相手がいなくなって、寂しくなることがあるようだからだ。
その点、読書や作文、ほかにも絵を描いたり、手芸をしたり、工作したり、楽器の練習など、ひとりでできる趣味があると、いい気晴らしになりそうである。
書いたり作ったり演奏したりする表現の趣味は、おしゃべりするのと変わらないかもしれない。何でもいいから自分に合った表現手段があると、ひとりの苦痛がやわらぎそうだ。
誰も反応してくれないとつまらないという人もいるけれど、表現すること自体楽しいものである。
わたしは、誰かが読んでくれるかもしれないと思うだけで嬉しくなる。お金になるかもしれないという下心を持つのもまた楽しい。でも、ただただ自分を落ち着かせたくて書いていることもよくある。
作文はけっこう集中力がいる。書こうと思うと、読書などのインプットも欠かせない。何でも書くネタになると思えば、日々の体験やできごとも見る目が変わる。
作文ほど道具いらずで気楽にできることはない。
リモート作文教室がやりやすくなった
コロナ禍のおかげで、珍しかったリモート教室があたりまえになりそうだ。
思い切って始めた個人の作文教室は、地方ということもあり、近所の生徒さんを集める営業ができないこともあって、結局リモートの生徒さんしかいない。
自宅でリアルに教室をするには、道具は何もいらないとはいえ、古いし狭いし設備的に行き届いていない点、気後れしていたし、いろいろめんどくさいと思っていたので、リモートのほうが正直気楽でありがたい。
コロナ前は、多少インターネットに通じた方か、先進的な方の問い合わせしかないような感じだったけれど、今後はもっと一般的になりそうだ。
教室といっても、うちではひとりずつ時間をとって丁寧に対応するスタイルで、それがわたしに合っているようだ。
はじめて顔を合わせるときは、リモートとはいえ、いつもどきどき緊張する。でも、相手のようすを見ながら進めていけるので、言葉の森の少人数クラスより断然やりやすい。
わたしは子どもたちだけでなく、趣味として広く作文を楽しんでもらえるような教室にするのが夢だ。でも、お金を頂戴するからにはいい加減なことはできない。ひとりずつきちんと対応できる範囲でしかお引き受けしないし、充実した楽しい時間になるよう心がけている。というわけではないが、かなり小ぢんまり細々やってる教室だ。
個人の教室にはそれぞれ相性があるので、うちでは無料体験を二回、受けてもらうようにしている。問い合わせだけで終了ということもよくある。途中でやめたくても断りにくいのではないか、といった心配も無用。メールで連絡していただくだけである。
結局、作文教室の宣伝になってしまった……。(恐縮)
「作文はなかなかのいい趣味になるよ」というのが言いたかったこと。
よろしければ、お問合せください。
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