寿命はわからない

jyumyo

高齢者施設にいる父は、褥瘡(じょくそう)、いわゆる床ずれの治療のために、病院に連れて行ってもらったという。コロナ感染者が増え続けているさなかである。ケアしてくれている方々には感謝しかない。

父は50代の頃にくも膜下血管を詰まらせたことがあり、加齢とともに認知症になった。今では母に対しても反応がなく、ひとことも話さないそうだ。

離れていることをいいことに

わたしはもう何年も実家に帰っていないので、長いこと両親に会っていない。

交通費がかかることや家族の事情などを言い訳にしていたが、コロナでほんとに行けなくなった。

まったく親不孝者である。

父のようすは、ときどき母が知らせてくれる程度だったので、母の介護のたいへんさは、想像するしかなく、ただ聞いているだけのわたしには実感が乏しい。

経済的に支援することもなければ顔を見せることもないわたしは、ただ心苦しく思うだけである。

父は父でなくなったのか

父は3月末、突然施設に入ることになった。それまで同居の兄夫婦の手を借りながら、母がなんとか自宅で介護をしてきたのだが、母も入院したりして、ちょっと限界だった。

でも、巷では老々介護は珍しくない。先日も夫が妻を殺したという哀しい事件があった。折よく入所できた父は、たまたま幸運だったのかもしれない。

施設に入ってすぐ、コロナで母は父と会えなくなった。

ガラス越しに10分だけ面会できるようになったとき、父が痩せて目も合わせてくれない、と母は泣いた。

父は誤嚥性肺炎を繰り返し、体調を崩して動けない日が続くと、みるみる痩せて、認知の衰えも顕著になっていった。そんな父を見て、もう少し自宅で介護したほうがよかったんじゃないか、もう少しがんばれたんじゃないか、と言っては泣いていた。そんな母も、ようやく老いていく父の姿を徐々に受け入れつつあるようだ。

それでも、ときおり蝋人形のように無表情な父を見ると涙が出ると話す。

老いる家族をまじかで見守る厳しさをわたしは知らない。

何もわからなくなったという父は、本当にわたしの知っている父ではなくなったのか。何もかも忘れて、楽になったのならいいが、写真の父がどこか寂し気で不安な顔に見えるのは、わたしの勝手な思い込みか。

「介護が必要になったときは、お父さんのように誰のこともわからなくなってしまいたい」と母はいう。命は何より大事というが、長ければいいというものでもない。長生きしてしまうことを長生きリスクなどといい、それはそれで思い煩いのもとになるのだから厄介だ。

寿命はいつなんどき尽きるかわからない。忘れていられる間はいい。長過ぎても困るし急過ぎるのもコワい。

父は入院時の検査で、いつ死んでもおかしくないというか、よく生きてるな、と医師が驚くような血管の詰まりがあちこちにあることがわかったそうだ。にもかかわらず、幾度となく誤嚥性肺炎による不調を乗り越えて回復している。

もしかしたらこれは父の思いのあらわれか? 何もわからないような顔をして、まだ死ぬもんかと踏ん張っているのだとすれば大したものだ。

父の夢を見た

めずらしく父の夢を見た日、父が入院したと連絡があった。今度こそ最後かもしれない。父は夢の中で会いに来てくれたのかもしれない。そんな感傷に浸っていたのだが、父はみごとに回復し、施設に戻った。

父と二人、黙って並んで街を歩いたあの夢は、まだまだ歩けるとわたしに言いに来たのだろうか……。

つくづく寿命はわからない。

そういえば樹木希林さんは、癌は死に支度ができていいと述べていた。子どもたちに、自分が死んでいくさまをありのまま見せてお別れした姿は、あまりにかっこよ過ぎて、まねしたくてもできない。

父もまた、老いる姿を懸命に見せてくれているのかもしれない。

父をお世話くださっているみなさん、本当にありがとうございます。

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