血管リスクが高い家系

父と兄弟みな脳梗塞

みごとにうちは脳梗塞リスクが高い家系なのです。亡き父の後、一番はじめに表れたのがわたしでした。そもそも若いときからかなりの頭痛持ちで、早くから脳神経外科にかかっていたためにたまたま早期発見できたようです。

といってもわたしのは「椎骨動脈乖離」といって、家族歴にかかわらず、事故や運動などで誰もがなり得るタイプの梗塞だったのですが、以前にはなかったシミや古い無症状の脳梗塞の疑いがあることがわかり、すぐに降圧剤を処方されることになったのでした。いよいよ脳の老化が始まったと知り、若干ショックを受けつつも徐々に受け入れてきました。

降圧剤を服用したとたん、片頭痛がほとんどなくなったのは幸運というべきか、少々コワイ気もしています。

最近、兄が心房細動、弟がラクナ梗塞を相次いで発症し、血管リスクの高さを思い知ったところです。とくに弟はわたし同様頭痛持ちで、血圧コントロールも怠りなかったように思っていたので、少なからずショックでした。父も菓子缶にいっぱいの薬を真面目に服用していました。だからこそあの程度ですみ、そこそこ長生きできたのかもしれませんが、晩年は認知症で、自立した生活はできませんでした。

やっぱり「ぴんぴんころり」とはなかなかいかないようです。

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健康こそ節約というけれど

年をとってもなるだけ元気で働かねば暮らしていけない時代といいます。何より健康でいることほど節約になることはないなんて言われて、わたしもそう思ってきたけれど、健康維持もタダではない。

こんなわたしでも毎日服用する薬を処方してもらうため、内科・眼科・耳鼻科に行き、MRI検査のために脳神経外科、歯科健診に歯医者にも行く。年をとるほど医療費がかさむとつくづく実感しています。

健康維持にどこまでお金をかけるのが妥当なんでしょう? 

損益分岐点をとっくに越えた医療をすでに受けてる気がしないでもありません。だからといって、何もしないで健康を損ねながら暮らすのもつらい。どのあたりがほどほどなのか、考えてしまいます。

温暖化に人口減少で

暗いことばかり考えるのも何ですが、そのうち温暖化で食糧危機になって、人口減少で社会が回らなくなったら、通院どころではなくなるかもしれないなあ、なんて他人事のように想像して、ひとりゾッとしてしまうことがあります。

いつまでスーパーにモノがいっぱい並んでいるだろうとか、宅急便の人がいなくなって通販できなくなったら困るなとか。

子どもが生まれてないんだから、これはかなり現実的な将来。一発逆転で移民がドッと増えて、日本語が通じなくなるのだけはどうにか避けられるといいのですが。

今からちょっとずついろいろ覚悟しといたほうがいいかなあ、なんて思っているところです。

嫌なことは考えないで逃避することももちろん大事なんですが、いろんなことを知ったうえで、徐々に受け入れつつ淡々と過ごすというのも、これまた一つの方法です。

人生不安はつきもの。考えてみればその多くは自分でどうこうできません。ときには開き直って、そのときがきてもうろたえないように、コワイモノと向き合う練習を積むというのも一興かと。

とはいえコワいものはコワい。

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