価値観は共有するものではなくすり合わせるもの

kachikan suriawase

若いころ、離婚の原因に「価値観の不一致」というのがさかんに言われていたっけ。

細かいことをいうと、価値観は人の数だけある。バスタオルは毎日洗うか否か。トイレにスリッパはありかなしか。そういうことを言い出すと、一致する人を探すのは難しい。ダイバーシティ(多様化)を目指すならなおさらだ。

そんな時代に「価値観を共有するもので一致団結」というのは少々薄気味悪いが、これもまた一つの価値観だから仕方ない。

価値観は共有しようとすると苦しい

共有というのは、一つのものを二人以上の者が共同で持つことをいう。

価値観を共有するということは、価値観が一つしかないということになる。

これはなかなかたいへんではないかと思う。

戦争反対、世界平和といった大きく誰もが賛成しそうな価値観であっても、対立する当事者間にとってはそう簡単なことではない。たいてい平和とか正義のために戦っているなどというからだ。

価値観は、はじめから一致するものではないと考えた方が現実的というか、楽ではないか。

価値観はすり合わせて折り合うもの

どっちが正しくてどっちが勝ちか、わかりやすく決めたいのは人情だが、余計なもめごとをしないために、ある程度の妥協は必要だと思う。

この頃は、妥協というと、何だか悪いことのように思いがちだけれど、そう悪いことばかりではない。善悪も正義も、価値観が変わればひっくり返る程度のものだ。

だからめんどうくさい価値観の調整は避けられないと思った方がいい。自分の価値観を相手に説得する説明力や相手の言い分を聞く忍耐は持っていたほうがいい。そして自分の価値観を一部引っ込めて我慢する覚悟も大事である。

そんなのはごめんだとつっぱってばかりいては何も始まらない。価値観は違えど、共に生きていかなければならないからだ。とはいえ、どうしてもここは我慢ならないというところは、相手に折れてもらうしかない。交渉のしどころである。

しかし、あまりに価値観が違い過ぎて、話し合いにならないというのもありがちなことである。しばらく距離をおくとか、なるべくかかわらないようにするとか、逃げるというのも方法だ。

とはいえ互いの価値観はできる限りすり合わせ、折り合うことが無用な争いごとを最小限にし、多様で豊かな世界を目指すための基本だと思う。

なんていうのも、まあ数ある価値観の一つに過ぎない。

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