ウイルスの本を読んでいたとき、免疫の話が出てきて、自分とそうでないものを区別することがあたりまえのようにおこなわれているとあった。考えてみればふしぎな話である。
妊娠すると、母体は胎児を自分以外のものと判断する。しかし、胎児は母親に異物として攻撃されないように膜で守られているらしい。
その膜はいったい誰のものなんだろう。
自分とはなんだ
自分を大事にした方がいいとか、自分のことばっかり考えるなとか、何をするにも自分というのがものすごく出しゃばってくるのだけど、自分というのは何なんだろうか。
このからだのかたまりのこと?
自分のからだなのに敵と間違えて攻撃されることがあるのはどうしたことか?
自分であるという判断基準はどこにあるのか?
自分のことがわからない状態はどういうことか?
自分自分というわりに、自分とは何なのか、さっぱりわからない。
自分とは、脳が作った妄想なのか。
自分に執着するのはなぜ?
自分が何なのかわからないでいると、自分とそうでないものの境目もはっきりしなくなってくる。
自分のために、得するために、損しないために、だまされないために、いろいろ考えるのだけど、自分だけが得をして、損を免れて、どうにかだまされずにすんだとしても、親しい人や属するコミュニティがうまくいかないと、結局自分もそのうまくいかないことに巻き込まれることにならないだろうか。
それでも自分だけすり抜けて、自分だけ逃げ切ろうと考えるのは、自分の身を守ることで、自分以外を守ることにつなげようということなのか。
どうしてこうも得体の知れない自分というものに執着してしまうのか、ふしぎでならない。
自分という妄想で、とりあえずこのひとかたまりのからだを守るようにできているのだろうか。この無数の細胞や細菌などからなるからだをまとめるには、自分という妄想が便利で都合がいいのかもしれない。そういえば国家も都合のいい妄想だと聞いたことがある。
国家が機能不全で滅茶苦茶になっているさまと自分自身の混乱ぶりが重ならないでもない。
自分と自分以外の境目は、あるようでない、ないようであるのだ。そういうあいまいなものとして柔軟的にとらえ、自分とそれ以外の連携がいま試されている。
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