老化で死ぬとは限らない。
若い頃は、寿命までまだまだ時間があると思っていました。そうこうしているうちに、残り時間を意識するようになりました。身近な人が亡くなったりすると、人の人生は長いようであっという間だなぁと思います。
日本にいると、災難で亡くなるアクシデント死亡は少なく、ほとんどの場合、加齢による老化で寿命を迎えると考えられています。そのうち晩年は健康を損ない、要介護状態になる人も少なくありません。でもこれは、医療の進化とともに、年々改善しているそうです。
加齢で老化するのはあたりまえで、老化が寿命の原因だと信じていたので、「寿命は老化が原因じゃない」というのは衝撃でした。確かNHKの番組だったと思います。その番組によると、なぜ寿命があるのか? なぜ死ぬのか? というのは、ほんとのところはわかっていないというのです。
不老不死は可能?
理論上、不老不死は可能らしいです。実際、若返りを繰り返し、死なないクラゲがいるそうです。まあ、これは若返りというよりは生まれ変わってる感じなんですが、細胞レベルでは老化を先延ばしにしたり、止めたり、戻ったりすることができるみたい。
お金持ちになると、たいてい次は不老不死を目指すと聞いたことがありますが、ほんとに不老不死を望む人はどれくらいいるんでしょうね……。
不老不死が可能であるにもかかわらず、生き物はわざわざ死ぬようにできているらしいです。ミステリーですね。
聖書にはこんな有名なことばがあります。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネ12:24
進化するために世代交代して生まれ変わるという説もあります。
『生物はなぜ死ぬのか』の著者が誕生は利己的だが、死は利他的といった話をしていました。
五十を過ぎてゴールが見えて
配偶者とともに、少し前だったらいつ寿命が来てもおかしくない年齢になりました。からだのあちこちにガタがくるようになりました。社会的には現役バリバリというところから引退しつつ、それでも元気なうちはなるべく長く働かねばならない感じです。
九十歳で亡くなった葛飾北斎は、死ぬ直前まで「時間があれば、もっとうまく描けるのに」みたいなことを言ってたそうです。
ヒトは経験や技術を後の世代に引き継ぐことができるので、世代交代でリセットしなくても進化できる面があります。これがヒトの寿命が長い理由のひとつとも言われています。
「ああもうこんな歳だから今さら」とあきらめることが多くなる一方で、じゃあいつ寿命が来てもだいじょうぶかと言われたら、まったくそうではないから困ります。おこがましいけれど、北斎が最期までもがきながら精進した気持ちがねたましいほどうらやましい。そんなふうに生きてみたい。そうしてはじめて、いつ死んでもいいという心境になれるのではないかしらと思うのです。
ミツバチ社会では、外界に出て蜜を取りに行く一番危険な役割が最晩年に回って来るそうです。
ヒトは変化のスピードについていけないほど短い期間で寿命が延びてしまったようで、老後が急に長くなり、心もからだもちぐはぐで、社会も困惑している状態なのかもしれません。
ヒトは死を忌み嫌い恐れます。それは安易に死なないための安全装置でもあります。しかし、思いがけず長生きするようになった今、これまで先人がしてきたように、年齢を重ねてきたからこそ思い知る限りある人生のこと、受け入れがたい老化や現実と向き合った日常のつれづれを、気づけばこんどは伝える番です。
そういえば老いた母が昔話をするのは、昔を懐かしむだけでなく、「伝えとかなくちゃ」みたいな気持ちがあるように思います。祖母のときのように、もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと思わないように、傾聴を心がけています。
今も昔も世間話は情報の宝庫です……。
スポンサーリンク