配偶者と書くことにした

haigusya

理由を聞かれても困るけど、わたしは配偶者に「嫁さん」と言われるのが好きではない。ふだんちゃんづけの名前で呼んでいるのだが、よその人に対して、ときどき「嫁さん」ということがある。同じように配偶者のことを「嫁さん」という人は少なくない。

ついでに子どもが「親」というのも気になっていたけど

配偶者に「嫁さん」というのはやめてくれ、と言った覚えはない。だが「嫁さん」という人がいるたびに不満を言っていたので、それじゃあ何と言えばいいのか、という話になった。妻がいいんじゃないかと言われたが、それはそれで何だかくすぐったい。気どった感じが気持ち悪い。だからといって、いい年をして、ちゃんづけの名前もばつが悪い。

夫婦とも社交的でないので、配偶者がわたしを話題にする機会など滅多にない。だからたまにわたしの知らないところで「嫁さん」と言われていても、ごくたまにわたしのいるところで言われても、ほんとはどうってことない。どうでもいいことなのだ。

わたしも配偶者のことをブログでどう書こうかと悩んでいた。ふだんはいまだに名字にさんづけかパパと呼んでいるからだ。わたしが「嫁さん」を嫌っているように、配偶者は夫婦で「パパ」や「ママ」と呼び合うのが好きではないという。だから子どもが生まれてから、わたしはパパと呼ぶようになったのに、配偶者はわたしのことをママと呼んだことがない。ずっとちゃんづけの名前で呼び続けているところは大したものだと思う。だからわたしもパパとは言いづらくなって、子どもが大きくなってからは名字にさんづけで呼ぶことが多くなっている。

旦那(様)は嫌だし、夫というのも妻と同じで何だか気どった感じがする。というのでオットとしていたのだが、今回から配偶者にした。『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』の著者ブレイディみかこ氏が配偶者と書いているのがよかったので、真似することにしたのだ。

ほんとにどうでもいいことだが、ついでにもう一つ、わたしには気がかりな表現がある。

それは子どもが親のことを親ということだ。「親に感謝している」「親が買ってくれた」といった表現には違和感を覚える。昔でいう「おやじ」「おふくろ」的な表現なんだろうか。家庭や家族が多様化してきている今、父とか母、あるいは両親といった表現はかえってNGなのかもしれない。いっそ保護者というのはどうだろう。だったら親でもいい気がしてきた。

表現は自由と配慮の折り合い

言葉は生き物と言われる。時代背景や環境の変化にともない、どんどん変化している。これまで平気で使われてきた言葉がNGワードになることも珍しくなくなった。

正しいとか、間違ってないからといって、使っていいとも限らないし、悪意がなければかまわないというわけでもない。たとえ誤解であっても、誰かを傷つけるおそれがある表現は、できるだけ使わないように注意する。それが人づきあいの基本かもしれない。

それでも失敗してしまうことがあるのが言葉遣いの難しさである。

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