「できることをやる」では成長しないし楽しくない説に突っ込まれながら

dekirukotoyaru

今年もまた迷走するだけの一年が終わりに近づいてきました。

後ろ向きで自信喪失気味なもんで、最近の日記や記事には何かというと「できることをやる」的なことを書いて自分を落ち着かせてます。

自分にできることって何や?

それはそれで追求するのはなかなか難しいものがあるんですが、

『競わない。比べない。自分に出来ることをする。』でいたら、人生の楽しさを失うよ

といった記事を読んで、なんか一層混沌としてきてます。

勝てそうなときは競って比べられるのが楽しい

こんなわたしでも若いときはどういうわけか何の根拠もないのにがんばれば勝てるんじゃないか、みたいなことを考えてたように思います。

若い人は気づいてないかもしれませんが、若いってだけで可能性が広がります。

比べるから自分のダメなところを思い知るわけで、競ってはじめて自分に足りない部分がわかるという意味では競争や比較が悪いわけではないんですよね。

むしろ楽しさやおもしろさを感じる人も少なくないと思うんですよ。

でも最近はどちらかと言えば「できることをやろう」「比べない」的な意見に共感する人が多いように見受けられるのは、高齢化社会だからでしょうか。

何でも年齢のせいにするのも何なんですが、勝負して優劣を競って楽しいのは、勢いがあって勝算があると思えるときのように思います。

できることしかしないのも戦略

「できることしかしない」というと、なんか消極的なイメージがあります。

確かに競い合って精進する土俵から降りるという意味では逃避っぽくてダメなのかもしれません。

だけど「自分ができることをやる」というのは逃避ばかりじゃない。

持ってるものをフル点検してフル活用する方法を考えることでもあるからです。

そんなとき、外の視点も重要で、客観的に見ようと無意識に比べてることはあるかもしれません。勝ち目がないところでは戦わない判断をすることもありそうです。

それって生き抜くための立派な戦略ではないかと思います。

なんか疲れて消耗したからただ逃避するっていうのも、ときには有効な判断です。

最近「できることをやる」「競わない」「比べない」系が増えてるとしたら、きっと今はそういう時流なだけで、それはそれでみなそれなりにがんばって生きてるんだと思います。

わたしも日々「できること」を模索しては行き詰ってます。

自分にできることは何か?

明確にわかってる人は案外少ないのではないでしょうか。

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