厚労省が実施した抗体検査は、500人と少ない上に健康な献血者を対象としている。また抗体検査は利用するキットにかなり性能差があるという。そんな中で出てきたのが東京都の陽性率0.6%という低い数値。
厚労省が実施した抗体検査の性能評価、業界関係者から相次ぐ指摘
これだけでは信用できるデータではないと言われつつも、もしかしてまだ日本は感染してる人が想像以上に少ないのかも? という疑いも出てきている。
とすれば、一時、東京は一日200人近い感染者が増え続け、検査はおろか、入院することもできずに待機する人で大混乱したあの事態は何だったのか。山場でも何でもないレベルで大混乱したことになる。
市中感染率が低いということは、この後、まだまだとんでもない山が来る可能性があるということだ。せめて医療体制をじゅうぶんに整えて、準備できるといいのだけれど。
儲からないところにはお金をかけなくなる資本社会の仕組み
儲からないことには自然とお金をかけないようになる。まあそれが資本社会だから仕方ないで済ませてきたけれど、ほんとにこれでいいのかな。
生活は儲けることだけでできていない。誰にでも儲けない生活がある。医療とか介護とか育児とか研究とか教育とか家事とか、儲からないけど大事で欠かせないもののほうが多いくらいだ。
誰もが儲からないけど大事だと思っていることがある。思っているのだけど、お金がないから大事にできないと困っている。儲からないから稼げない。そういうところにお金はなかなか回ってこない。そんな仕組みの中でもがきながら生きている。
儲からない医療体制など整うはずもなく、とりあえずあわてて経済をストップしたのはいいが、何の補償も見通しもなく、社会がエライことになってしまった、というのが今回のコロナ騒動か。
コロナ後の社会
生活すべて、資本社会の仕組みに取り込んでしまうには無理があった。どんなことも儲かる活動に集約されてしまい、儲からない分野は軽視され、人まで生産力ではかられ、すっかり生きづらくなってしまった。
そうは思ってもなかなか変えられない。お金がないことには生活が回らない。資本社会に従うよりほかに道がない。こぼれ落ちたらどうすればいいのか。
コロナ騒動は、そんなこんな問題を変える機会になるだろうか。
あまりに強大な資本社会で見えにくくなったけれど、人にはじつはほかにもさまざまな社会やコミュニティがある。資本社会が主でなければならない理由はない。
多様なネットワークが複合的に支え合う仕組みに変わっていくことを期待しないで待ちたい。
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