40代ぐらいから洋服に悩む人が増えるようです。
わたしも持っていた洋服がことごとく似合わなくなって、途方に暮れたことがありました。
その頃から「似合わない恰好は悪」のごとく思うようになって、と同時に「似合うってどういうこと?」と悩むようになりました。
先日、筆子ジャーナルの「好きな服を着たいけど、ネットで叩かれると思うと怖くてできない。」という相談に対する記事を興味深く拝読しました。
おしゃれって、誰のための何のためのものなんでしょうね。
「わたし、もう若くない?」 と思ったら断捨離の絶好機
洋服だけはミニマリストになりました。
手持ちの洋服がどれもこれも似合わないことに気づいて着られなくなった。
それは案外唐突に来ました。
それまでどうしても片づかなかった洋服をみるみる処分できるようになった一方、気に入った洋服はなかなか見つからないから買わないでいると、気づいたら洋服ミニマリスト状態。
ついこの間まで「若づくり」しているつもりもなく、若々しく見せることに意欲があったなぁ。
今はもう、その頃のような勢いで買いものできなくなった。
ちらりと「老い」を感じる一抹の寂しさと、加齢を認めちゃった方がラクな気持ちが入り混じる。
洋服断捨離の絶好機です。
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好きな洋服スタイルが見えてきたら断捨離の絶好機
洋服がいっぱいあるのに断捨離できない人は、けっこうTPO(時・所・場合)をわきまえてるちゃんとした人なのではないかと思うんですね。
自分の好みより、周囲に合った服装を心がけようとするので、自ずと衣装が増える。
冠婚葬祭や職場のルールもだんだんカジュアルになってきているので、好きな恰好がしやすくなってきています。
式服なんかはレンタルも充実してきてますよね。
ジーンズとシャツを基本にするとか、花柄ワンピースがいいとか、好きなスタイルがはっきりしてきたら断捨離しやすい。
洋服断捨離の絶好機到来。
似合う服がわかってきたら断捨離の絶好機
似合うかどうか、誰が決めると思います?
自分には自分の姿が見えないので、似合うかどうかを判断できるのは、自分ではなく周囲の人なんでしょうか?
周囲のどれぐらいの人が似合うと判断すれば似合うと思っていいのでしょう?
諸説あると思いますが、わたしは自分が似合うと思っていればそれでいい派です。
似合うかどうかの基準なんて、何となくカッコいいとか、何となく似合ってるといった程度の、あってないようないい加減なものだからです。
また着ている人が幸せそうだったら、自分の趣味と合わなくても、見ている人もきっとうれしくなるはず。
ただし、毛皮などの素材や肌を見せるなど極端なデザインのほか、宗教上などの理由で、一定の方が不快に思うおそれがある服装なんかは、ここに含まないこととします。
着ると上機嫌になる洋服がわかってきたら、それは似合う服がわかってるってことで、断捨離の絶好機が来てるってことでもあります。
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