『Yの悲劇』を読んで

<東西ミステリーベスト100>をガイドに読書している。

ミステリーと純文学

最近は<日本文学100年の名作>も読み始め、ミステリーはご無沙汰していた。

映像で見たことがあっても、ミステリーはあらためて読んだことがないものがたくさんあって読み進めて行くのはなかなかたいへん。国内のベスト10を読んでから次は海外編にしようか、それとも国内編をさらに読み進めようか決めかねていた。

<日本文学100年の名作>第1巻に佐藤春夫の『指紋』という短篇がある。シャーロック・ホームズを思い出させるミステリー風の小説で、1918年(大正七)年、「探偵小説」特集号に発表されたもの。

解説には次のようにある。

大正時代、まず純文学の作家たちが「探偵小説」に惹きつけられた。谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介、宇野浩二らが「探偵小説」を書き、その影響で江戸川乱歩が登場する。

当時ミステリーは純文学とはっきり区別されていなかったようなのだ。芥川龍之介の探偵小説ってちょっと興味がある。

スポンサーリンク

エラリー・クイーン『Yの悲劇』は翻訳ミステリー第2位

『Yの悲劇』は<東西ミステリーベスト100>の海外編第2位である。第1位はアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』。これは映像で何度も見たことがあり、あらためて読む気にならなかったので2位の『Yの悲劇』から読むことにした。もちろんタイトルは知ってるものの、どういう話なのか知らない。これは1932年(昭和7年)の作品。細かな文字の文庫本496ページとやや厚め。しかし新訳版ということもあるのか、無理なく読めた。

これはハッター家の悲劇の物語である。Yというのはヨーク・ハッターのYらしい。横溝正史の西洋版といった感じである。といってもこちらのほうが本家本元。おどろおどろしい雰囲気のわりに、ストーリーはあっけないほどすっきりとわかりやすい。

横溝正史も芝居がかった文章がうまいけれど、エラリーさんも同じような感じで上手。どちらかといえば横溝正史のほうが真似たんだろうけれど。真似ようと思ってできるものではない。こんなふうに書けたら楽しかろう。

読後の満足感が長年人気の秘密だろうか。

100年もすればことばは相当変わってしまう

ことばの変化は思っている以上にはやい。今からおよそ100年前といえば1923年(大正十二)年である。

その頃の小説を読んでみるとよくわかる。言葉づかいや時代背景がわからないので、面白味や味わい深さがいまひとつピンとこないのはもちろん、漢字の読み方や意味もわからないことがよくある。昭和初期の文章もすでに読みにくい。

そんなふうにこれからもどんどん古くなって読みにくい文章が増え続けていくのかと思うとなんだか残念でもったいない気がする。

古事記や枕草子、源氏物語が読み継がれてきたように、もっと今の人が読みやすくなる改変を辞書のようにもっとまめにするというのはどうだろう。どうせことばは生ものだ。せっかくの作品が腐って埋もれてしまうくらいなら、いっそ今風にわかりやすく言葉づかいだけでも変えてしまっていいのではないか。いやいや元のかたちが跡形もなくなってしまってはだめか……。

「現代ものは時代相の鮮度が落ちる」と述べた作家さんがいたけれど、筆者はちょっと前の古臭い現代ものも嫌いじゃない。

後世に残るかどうかは質というより運次第なのかもしれない。

合わせて読みたい関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください