コロナが終わって
ひさしぶりの観光地の賑わいやお花見のようすをテレビで見ていると、「あったかくなってきたなあ」といううれしさはある。
かといって、コロナ前の生活に戻れるといった望みは持てない。そもそもコロナ前の生活が希望に満ちていたかというと、そうでもない。今よりマシだったかなあといった程度である。
ところがここにきて将来不安がすごいことになってきた。感染症リスクに高齢化リスク、さらに戦争リスクに災害リスク、温暖化リスクまで考え出したらまったく手に負えない。物価高で必要なものをそろえるのに苦心しつつ、余裕があったら少しでも貯金せねばという強迫観念にかられる。
日本がいつまでも不景気なのは、こうした将来不安が根強いところからくる貯金体質にあるという。だからといって「何とかなる」といつも明るく過ごそうなどと言われても無理な話である。
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食事の目的は栄養補給と
食品の値上げがえげつないので、このところ最低限必要な栄養量について考えるようになった。病気にならない程度の栄養をとることが食事の最大の目的である。
しかしヒトは「おいしさ」とか「楽しさ」が失われても病気になる可能性があるから厄介。こういうとき、サプリメントだけで満足できるヒトは強いかもしれない。といってもサプリメントのコスパがいいとは限らない。
低コストで栄養豊富、しかもおいしく楽しく食べられる食材を見つけなければならないというむずかしい時代なのだ。
わたしはダイエットのためにPFC、つまりプロテイン(タンパク質)、脂質、炭水化物という三大栄養素のバランスを意識するようになって、鶏肉のむねと玉子をたいへん重宝していたのだけれど、とくに玉子は高級品になってしまい、うかつに味玉が作れなくなった。栄養バランスの調整に欠かせないプロテインも高騰している。
減量に成功すれば、それだけ必要な量が減るので、ここは家計のためにも何が何でも痩せたいところである。
「こうすれば安心」はない
こうしてみると、将来不安に対して、個人的にできることはほとんどないなあ、とあらためて思う。
でも、投げやりに開き直って気持ちが楽になるんなら、そういうときもあっていいと考えている。地道に貯金するのが楽しいならそれもいい。筋トレして健康維持に努めるのもいいではないか。
何をしたところで、残念ながら「ぜったい安心」にはつながらない。そのことを受け入れることにした。
大事なのは、何があっても心身ともに病まないように努めること。たまに落ち込みつつも無理なく楽しめることを見つけて「そこそこ健全」をめざして生き抜きたいと思う。
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