『サバイバル組織術』を読んで。50代主婦は社会人といえるか?

soshiki book

人間は社会的動物。個人であると同時に社会人にならなければ生きていけない。と、そんなあたりまえのことに今さら気づいて、どうしたものかと悩んでいる。

家庭の事情に追われていることをいいことに、つい社会生活を怠っていたら、ふと気づけばひきこもり。そんな主婦が少なくないことが最近わかってきたという。「なんだ、わたしだけじゃない」なんてホッとしている場合ではない。

コミュニティは一般社会じゃない。

『サバイバル組織術』のあとがきに、組織にはコミュニティ(共同体)とアソシエーション(結社)の2種類あるという。コミュニティというのは、血縁や地縁などの結びつきで、自然と組み込まれているとか。

確かに、人間ひとりで生まれてひとりで育つわけではない。だから誰でもかつては何らかのコミュニティに組み込まれていることになっている。

だけど、何らかの権力や利益を追求する組織であるアソシエーションの社会が強くなり過ぎてるせいか、身近なコミュニティがどんどん軽視されて弱体化してきてて、アソシエーション中心の社会がいわゆる一般社会になってて、そのほかの社会がなくなりつつあるような気がする。

つまり、どこのアソシエーションにも属さないわたしのような主婦は、一般的に社会人とみなされない風潮がある。

主婦は地域社会に属していると思われるかもしれないが、うっかりお節介しようものならプライバシーの侵害と言われる時代の中、地域社会の社会人とは何なのか? どうあるべきなのか? よくわからない。

そんなことよりアソシエーションの一員でい続けることのほうが重要で、地域のコミュニティは後回しというか、ないがしろにされている現状に、子育てや介護をするようになってはじめて、不安を感じるようになるのだ。

盤石なコミュニティの一つだった家族は、もうとっくの昔に機能しなくなっていることに気づいていない人もいる。

働かざる主婦は社会人か

『サバイバル組織術』は、多様な小説の登場人物を参照しながら、現代の複雑な組織の中で、いかに生きるかを考えるという興味深い内容である。

時代が変われば、世の中の常識や価値観は変わる。江戸時代や戦中戦後の物語が何の役に立つのかと思ったけれど、人はいつの世も組織に翻弄されるということがよくわかる。

そして世の中も人も変わりゆくというのに、組織だけは、なぜかそのまま取り残されたように変わらないまま、むしろ強固になってしまったりするから始末が悪い。そしてこんどは属する人を犠牲にしてでも、その組織自体を守るようになっていくコワイものなのだ。

そういうことを小説で学んでおけば、翻弄されるにしても、組織にとことん潰されるようなことは避けられるかもしれない。佐藤氏はそう言ってるのだと思う。

今こそ、誰もが自動的に所属できたコミュニティ社会の価値を見直したい。

それができるのは、強大なアソシエーション中心の一般社会に属していない主婦かもしれない。(なんちゃって。)

一般社会の社会人とは

佐藤氏が敬愛する経済学者、宇野弘蔵が次のように述べている。

経済学はわれわれの社会的位置を明らかにしてくれるといってよいでしょう。小説は自分の心理的な状態を明らかにしてくれるといってよいのではないでしょうか。

われわれの生活がどういう所でどういうふうになされているかということが感ぜられるような気がするのです。

自分の居場所が気になるわけです。

人は誰でも集団生活と個人の自由の間で折り合いをつけて生きている。対人関係がどんなに苦手でも、社会人としての一面がなければ、ヒトは豊かに暮らせないのだ。

ところで「働かざる者食うべからず」というところの働くとは、お金を稼ぐ仕事をするということで、そういう人を一般的に社会人という。働いている家族を支え、家事・育児・介護、あるいは地域貢献をいくらしても、稼いでいなければ、あくまでも被扶養者で、被扶養者は社会人扱いされない。

「お金を稼ぐ=働く」というのは、なかなか根深い価値観なのだ。

今では家事・育児・介護もお金を稼ぐ仕事になっている。お金にならない家族の仕事はアウトソーシングして、みんなお金を稼ぐ仕事をするようになっている。

それはそれで悪いとは言わない。お金を稼ぐ仕事がしたい人ができるようになるのはいいこと。

でも、お金にならない仕事をして家族を支えたいという人は相変わらず報われないというか、以前にも増してやりにくくなっている。

とにかく、何をするにもお金が必要になり過ぎてしまってるのが心配でしようがない。

何かを手に入れたいと思ったら、他人から贈られる他なく、その運動を起動させるには、まず自分がそれと同じものを他人に与えることから始めなければならない。

といった贈与という考え方もある。

「ボランティアはタダ働きで偉い」という見方をする人もいるけれど、恩返しや恩送りでボランティアする人も少なくない。

わたし自身、不登校になってひきこもってしまった発達障害の子どものことで、いろんな方に助けてもらったので、わたしもできることをしたいと思うようになった。親切にされたり、お世話になったりすると、人は自然に優しくなれるというのは本当なのだ。

ところが「そんなことよりお金を稼ぐ仕事の方が大事でしょ」となってしまう現実が哀しい。

朝ドラ「なつぞら」の草刈正雄は、北海道の一代目開拓者の役で「働くことはお金を儲けることじゃない。生きることだ。」というようなことを言ってたのが印象的だった。

お金は大事だよ。稼ぐのも悪くない。

ただ、あらゆる社会問題を解決することができないのは、人の働きをお金でしか考えられなくなってしまったからじゃないかな。

人間も、お金がなくたって生きてる生き物なんだよね。

小説の登場人物を組織人として分析してるのがおもしろい。あなたのそばにもきっといる!

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