とくに贅沢しているつもりがなくても、どういうわけかお金が足りない。国家予算は赤字続きで、福祉も年金も行き届かなくて困っている人が大勢いる。
その一方で、何に使われることもなく、ただ眠っているだけのお金が世界には数兆ドルあるという。
「これ、何とかならない?」といろんな人が考えているというけれど、これが解決できたら平和賞もの。
最近、お金や人材など必要な資源を必要としているところへ送るファンドレイザーと呼ばれる専門家たちが注目されている。
ただ消費するだけでなく、お金を何にどう使うか、ちゃんと考えられるおとなになりたい。
資金はあるところから持ってくる?
れいわ新選組の代表山本太郎氏は、消費税廃止の財源を追求されると「あるところから持ってくる」と言って人々を驚かせた。わたしも新鮮だった。そういえば、お金はどこにもないわけじゃなくて、あるところにはあるんだった、と思い出させてもらったからだ。
何をするにもお金がいる。人もいない。そんな話ばかり。ときどき格差問題が取沙汰されても、市場社会の自由競争の結果だから誰もどうすることもできない、とあきらめの境地になる。
儲からないところにはお金も人も集まらない。だけど人はお金儲けだけして生きているわけではない。ほかにも大切なことがたくさんあることに目をつぶり、ひたすらお金儲けせざるを得なくなって疲弊しているのだ。
その結果、紛争はなくならないし、地球環境は危機的状況。人々の暮らしはとても充実しているとはいえない。
人を大事にすることは、お金儲けにならないこともあるのは確かで、だからといって必要としているところへ資金を持ってくることも簡単なことではない。でも、これは誰にとっても必要なことで、あるところにあるのなら、けっして非現実的なことではないのだ。
お金が足りない一方、無駄に余っているお金があることに無頓着になってはいけない。
寄付するあなたを誇りに思う ―寄付月間5周年PV―
うちの子はフルタイムで働くのが難しい発達障害で、経済力が乏しい。だけど小学生の頃から少額の寄付をしている。
ちょっと余裕があるとき、気が向いたら寄付をするわたしとは違う。
子どものしている寄付は、わたしのように、余裕があるとき、気まぐれにするようなものではなくて、あの子なりの気にかけているという証であり、分かち合いなのだ。
自身が苦しいとき、助けてくれた人々への感謝の気持ちでもある。
寄付するわが子をわたしは誇りに思う。
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