生態系の一員として

seitaikei ichiin toshite

『いい虫わるい虫』という本に、大移動しながら植物を食い荒らしていく大きなバッタの大群の話がある。群集で移動するそのバッタは、羽が長くて黒く、何にでもかみつく凶暴な性質である。ところがおもしろいことに、その同じバッタは移動しないこともあって、移動しないときは緑色でおとなしく、単独で行動しているそうだ。

豊かな土地で増え過ぎて

どうして移動したりしなかったりするのかというと、豊かな土地でのんびり暮らしていたら、どんどん数が増えてしまって、やがて激しい食べ物の奪い合いになったのが群集の大移動なんだとか。競争が激化すると性質も荒くなるという。

この話を読んで、人間も増え過ぎたのかもしれないと思う。あちこちで紛争がなくならないし、競争も激しくなっている。その結果、環境破壊も止まらない。

そういえば、あの愛らしいビーバーも増えると厄介だと聞いたことがある。ところかまわず木を倒し、ダムを作って川の流れを止めてしまうからだ。一部の地域では、環境破壊の害獣になっているらしい。

数が増え過ぎればこれまでうまくまわっていた生態系が崩れてしまう。それが環境破壊の始まりなのだ。

繁栄するのはけっこうなことだけど、地球にも限りがある。やがて足りなくなっておかしなことになるんだなあ。

生態系をコントロールできる?

環境保護などといって、自然をコントロールできるかのように思いがちだけど、人間もまた、しょせんは生態系の一部と考えたら無力感しかない。

「隕石家族」というドラマを思い出す。巨大隕石が地球に近づいていて、どうすることもできず、地球滅亡の日をただただ待ちながら、何事もないようにふつうに暮らす人々が描かれる。

案外こんなふうに、何もなかったことのようにして暮らしてしまうものかもしれない。

いつロシアが攻めてきてもおかしくないウクライナの人々のようすをテレビで見た。外国に逃げようとする人がいる一方、いつものようにスーパーで買い物をしている人がいる。ふだんどおり営業しているスーパーがあるのだ。そんな中で、銃の打ち方を練習する市民の姿も紹介されていた。

わたしだったらどうするだろう。大雨洪水警報のとき、どこにも逃げ場所がなくて、結局二階に避難しているくらいだから、遠くに逃げることもできず、だからといって備えることもしないで結局巻き込まれてしまいそうだ。いつものように買い物しているウクライナの人の気持ちがわかった気がする。それともやっぱり、こわいから何をおいても逃げるだろうか……。それはそれでたいへんな決断である。

ときには目の前の現実を、見ない聞かない考えないようにするのも悪くないと思う。

わたしのお気に入りの現実逃避は鍋磨き。ぴかぴかになったらうれしくなる。で、ときどきは現実と向き合って考えてみようと思う。

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