お金儲けは好き。でもお金と向き合うのは苦手。なんて言ってるとどうなるか?

okane mukiau

お金儲けが嫌いな人はいないと思う。でも、お金のことをあれこれ話したり考えたりするのは苦手という人は少なくないかもしれない。

わたしもそう。

たまにはお金の現実を知ろう

家計管理や事業主として帳簿をつけていると、どうしてこう何をするにもお金がいるのかと嫌になる。出ていくお金に比べ、収入を増やすのは簡単なことではない。絶望的になる。

そういう現実を受け入れたくなくて、つい考えないようにしている。そうやって身を守ることもときには必要なのだ。でも、逃げてばかりいては逃げ道もわからなくなる。たまには現状と向き合うことも大事だ。

ノーベル平和賞を受賞した経済学者ユヌスさんは述べている。

貧困は貧しい人たちの怠慢が原因ではなく、私たちのシステムが生み出したものだ。

格差の発生は資本社会の限界であることが頻繁に言われるようになってきているが、貧しさへの偏見はまだまだ根強い。運が悪いことも「持っていない」と蔑み、たまたま貧困でない罪悪感をごまかすために、より貧しい者へ責任転嫁する仕組みが出来上がってしまっているのだ。

話が大きくなり過ぎてしまった。何が言いたいかというと、お金の現状は、たまたまそういう状態にあるというだけのこと。裕福だから偉いとか、貧しいから怠けてるといったことでもなく、もちろん運がいいのは優れてるからでも運が悪いのは劣っているからでもない。たまたまこの時代のこの環境に置かれて今があるということなのだ。

だからお金のことで得意になることも卑下することもない。生き抜くために自分ができることを考えることが大切だと思う。

小さな暮らしに必要なお金を見直そう

何でもお金で買わないと生活できない暮らしが行き過ぎてないか。

老々介護中の母は、福祉施設から帰ってきた父を玄関先から家の中に連れて入るのが一苦労だという。父は車いすで思うように動けない上認知症。母ひとりでは玄関の段差が乗り越えられない。父をつかまり立ちさせ、母はまず車いすだけを運んでから父を家の中に入れるのだ。送ってきた運転手さんは玄関先までの契約で、それ以上のことをしてはいけないらしい。今は何でも契約で、ちょっと手伝うということがしたくてもできないみたいだ。父がつかまり立ちできなくなったときは、家の中まで送ってくれる介護サービスの契約にし直すそうだ。

せっかくの善意が事故になって補償問題になるケースも後を絶たないらしい。モンスターな介護利用者の話もよく耳にする。ちょっとした親切もしにくい世の中なのだ。だから何をするにもお金を支払ってサービスを受けるようになってきている。こうなってくると、お金を介さない人づきあいとはいったいどういうものなのか、わからなくなってくる。

人間は生き物だから、一から十までお金で解決できるものではない。そもそもお金は生活を便利にするための道具に過ぎなかったはずだ。ところが今では支配者に上り詰めてしまった感がある。

お金に支配された暮らしでいいのか? どうすればお金をうまく利用する暮らしができるのか。

とりあえずできる範囲でお金を使わない生活から始めたいと思っている。まずは使い捨てを減らすことから。

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