モノとゴミのバランス

不要なモノを処分して片づけることは、すなわちゴミをつくること。

ゴミは目の前からなくなっても、それは移動しただけで消えたわけではない。

だから最近片づけることに、なぜかもやっとする。

ゴミの行方

何も考えないでぼんぼんモノを捨てて、新しいものに買い換えていた時期が懐かしい。ゴミが収集されたあとのことなど考えたこともなかった。

だから中国が日本のプラゴミを買ってくれなくなって、日本が困っていると知ったとき、ほんと情けなくなった。日本の不用品を海外に押し付けていることは薄々知っていた。だから見ないふりをして暮らしてきたことを突き付けられた思いがした。

嫌なことはなるべく考えないようにして、何ごともなく生活できるものと信じこんで過ごすことで身を守ってきた。でも、そうやって嫌なものは見ないようにして、あたりまえと思っている生活が続くことをただひたすら妄信するのも何だかきつくなってきた。

わたしが出したゴミは誰が片づけているのか? あるものにとって不要なゴミは、それを必要とするものがいてはじめて回る。そうやって生態系は循環している。いつまでたっても土に還らないものは想定外だ。そんなゴミ、どうやって誰が片づけるのか。そのうち埋める場所もなくなりそうだ。

先日、人工衛星だらけで、星空の観測ができなくなってきているというニュースを見た。近いルートをぐるぐる回る人工衛星の打ち上げが低コストになってきて、今後ものすごい数の打ち上げ予定があるそうだ。

こうした人工衛星も、やがて古くなってゴミになるんだろうか? 都合よく燃え尽きて、ゴミにならなければいいけれど。そんなことまで心配になってきた。

それと引き換えに、ヒトの暮らしはますます便利になるというのだから悩ましい。

せめて洋服は着つぶしたい

最後までなるべく長く着られる綿麻素材がお気に入り。おうちで洗えるのも好ましい。

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モノとゴミのバランス

モノはやがてゴミになる。

生きることは、ゴミをつくることかもしれない。

ゴミを出す暮らしを全否定したいわけでもないし、モノを利用した快適な暮らしを邪魔したいわけでもない。

ただ、便利で快適な暮らしに欠かせないモノと、そんな暮らしから出るゴミのバランスが悪過ぎると思うのだ。

便利で快適な暮らしに必要なモノを増やしたいだけ増やすせば、暮らしはいつか破綻する。後片付けできるゴミの量には限りがあるからだ。後片付け可能な分量のゴミしか出さない範囲で便利や快適さを模索してバランスをとるような暮らしをめざしたいと思う。

個人レベルでできそうなことは、

 

  • 買い換え頻度が減らせるモノを選ぶ。
  • 使い切る。

流行や値段に惑わされず、部品交換できるものや長持ちするものを選んで大事に持つことや、持ち物は最後まで大事に使い切る。つまり、モノを大事にすることでゴミを減らすことだ。

今は修理や部品交換をして長く使い続けたいと思っても、かえってコストがかかることも少なくない。買い換えを促す市場が何よりも優先されているからだ。

そんな中、個人ができることは限られているけれど、それでも家計と折り合いながら、できる範囲で長く大事に使えるモノを選ぶ消費者が増えれば、使い捨て商品を減らせるかもしれない。

年をとって、収入も減って、これまでのように景気よく消費できなくなってくると、単純なもので、今あるものをなるだけ大事に長く使いたいと思うようになった。

落ち目も悪くない。

一生ものの道具を大事に使い続ける暮らしのよさを見直したい

品質のいい鍋は一生ものです。

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