「急がば回れ」か「善は急げ」か。今のこの状況はどっちがいい? などと悩むことがよくある。
遅いのはどうして駄目か
ビジネスなんかでは、「すぐ行動する人は成功する」とか、返事が早い人は信用されるとか、「善は急げ」のスピード重視の傾向が見られる。慎重であることすらどこかマイナスなイメージで、優柔不断はもってのほかである。
でも、ひとたび失敗すれば、思慮が浅い、勇み足、準備不足、予測が甘いと不評を買うのだからやってられない。
「急がば回れ」も、急ぎたいならリスクを避け、遠くても安全な道を進んだほうが早いよ、というアドバイスであって、遅いほうがいいと言っているわけではない。
遅いのはどうして悪いのか。
おそらく時間がかかるといった量的な意味だけでなく、「よい時期を逃してしまう」といった質的な意味が込められているのだと思う。
神のなされることは、みなそのときにかなって美しい。
という聖句と同時に
幸運の女神には前髪しかない。
という名言を思い出した。
幸運の女神は、前髪しかないから通り過ぎてからではつかまえられない。準備万端虎視眈々と待ち構えるぐらいでなければつかめないということだ。
だから遅いのは駄目なのね。
早ければいいか
「善は急げ」も嫌いではないが、「急がば回れ」が気になっている。何をするにも早いほうではなく、たまに急げばおっちょこちょいで失敗するからだ。
「早くしないと」とあわてるばかりで、できる備えもおろそかになる。
というか、あれもできない、これもできない、とできないことで頭がいっぱいになる。
自分にできることなど今さら「焼け石に水」だとか、今はそんなことをやってる場合ではない、などと何もしない言い訳ばかり次々浮かぶ。
でも振り返ってみれば「少しずつでも貯金してれば」「少しずつでも片づけしてれば」など、あのときできることを馬鹿にしないで、ちょっとずつでもやっとけばよかったと思うことがいろいろありまくりである。
案外無駄にならないのかもしれない。気ばかりあせって結局何もしないほうがよほどもったいなかったかもしれない。
スピーディかつスマートを目指し、結局何もできないでおろおろするぐらいなら、将来何の役に立つんだか立たないんだかわからなくても、そのときできることを地道にやってみることが大事ではないかと思うようになった。それがきっと「急がば回れ」ってことのような気がしている。
備えがなければ、目の前を通る女神の前髪には気づかないかもしれない。
早ければいいというわけではなさそうだ。
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