テクノロジーが進化するように、ヒトも少しは成長しているように思っているが、脳の構造が変わらない限り、変わりばえしないのがほんとのところかもしれない。
昔の方がマシだったと思うとき
政権が変わったとき、期待したわりにごちゃごちゃするばかりで何も決まらずがっかりして、これなら前のがマシだったと思ったことがあった。
この頃は、何かと強引に決めるのに嫌気がさしてきて、これなら何も決められなかった前のがマシだったなぁなどと思ったりしている。
奴隷があたりまえのようにいた時代とか、召集令状で有無も言わさず戦争に駆り立てられた時代に比べたら、今はずっとマシになったと思っていたけど、差別も戦争もなくなったわけじゃない。対象や場所が変わっただけで、相変わらずおんなじようなことが繰り返されていて、じつは何も進んでなんかいないのかもしれない。
たまたま自分がいじめのターゲットになってしまったら、そうじゃなかった昔の方がマシだったと思うに違いない。
昔の方がマシだと思うのは、割を食ってると感じているときだ。
今のがマシだと思うとき
戦時中のドラマを見たり、自分より過酷な環境にいる人たちを見ると、今の環境をありがたく思う。不満を抱いてはいけないような気さえする。
今も誰かがどこかで酷い目に合っている人がいることを知りながら、何もできずに平気で暮らしている負い目かもしれない。
世の中は平等でも公平でもない。いつもどこかで損をして虐げられる人がいる。今がマシだと思うのは、満足とまではいかないまでも、割を食ってるとも思っていないからだ。
だけど、どこかで憂き目に合う人がいて、それは結局限りあるこの世の資源を奪い合ってるからなんだと思うと、平和で満足な暮らしをするのが当然の権利などと言っていいのかわからなくなる。
才能も幸運も努力も苦労も、ほかの人よりいい暮らしをしてもいい理由にならない気がしている。
誰もが納得して奪い合っているわけではないし、奪い合わずにすむ方法は、いまだに誰も知らない。
その方法がわかったとき、人ははじめて進化するのかもしれない。
いつ割を食うか知れない世の中で、奇跡のように気まぐれに、助けたり助けられたりし合っていければ良しとするか。
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