わたしは生徒さんの作文をほとんど添削しない。あらかじめ添削しないことを承知してもらっている。
誤字や脱字は本人が注意するようになれば減るし、文のねじれや不自然な言葉遣いなんかも書いているうちに、ふしぎと自然になおってくるものだからだ。
言葉遣いはテクニック
それでもついこの間まで、ら抜き言葉を直したり、お父さん、お母さんを父や母、または両親と書き直したりしていた。試験では、まだそういうことを気にする者がいそうだったし、実際わたしもいちいち気になっていたからだ。
ところがいつの頃からか、そうした言葉遣いもあまり気にならなくなってきた。この頃は敬語や謙譲語だからといって、目上から目下、目下から目上に対する言葉遣いなどと言って強要するのは、かえって差別的ととられかねない。
世の中はどんどん変化している。
それでもまだ若い芦田愛菜ちゃんの相手を敬う丁寧な言葉遣いに触れると、やっぱりちょっと嬉しくなって好感度が上がる。
若いから、地位が低いからと言って、必要以上にへりくだる必要はない。しかし、わからないことを教えてもらうことがあるかもしれない、何かとお世話になるかもしれない、といったことが少し想像できれば、自ずと態度は違ってくるし、言葉遣いにも表れるものだ。
人間はいつでもどこでも対等かつ平等でありたいと思う。しかし、生活の中では、利害が複雑に絡み合い、助け合うことで貸し借りや上下関係が生じる。
言葉遣いは、そんな人間関係をスムーズにしたり和らげたりする重要な技術なのだ。
敵を作らないために、気持ちよく助け合うために、身につけておきたいものである。
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