知らずに傷つけることがある

kizutukeru

いいことをしているつもりでも、正しいと思うことを言っても、そのことで誰かしらを傷つけていることがあるということにはなかなか気づけない。

表現するということは、そういうことをちゃんとわきまえて覚悟することなんだなぁ、と思う。

先日こんなドラマを見た。

こんなドラマを見て考えさせられた。

かつて行き場がなく、保健室にたむろして救われたという元不良が、すっかり立ち直り、譲り受けたカフェを町の保健室のような場所にしたいと熱心に活動していた。ところが、自分たちが保健室を陣取っていたために、盲腸で具合が悪くなった生徒が保健室に駆け込めず、手遅れで亡くなっていたことを知る。その生徒は、両親から虐待を受けており、保健室のほかに助けを求められるところがなかったのだ。

立派なおとなになったカフェ店長でしたが、知らない間にとんでもない事態を招いていたんですね。しかも、亡くなった生徒のことを何も覚えていなかった。

コワいけど、悪意がなくても、人を傷つけてしまう可能性は、どんな人にもあるんですよね。

誰も何も言えなくなってしまうのは哀しい

どんな言動も、誰かしら傷つける可能性がある、なんて思うと、何も言えなくなるし、何もできないってビビる。

かと言って、何もしない「見て見ぬふり」もまた、誰かを傷つけることがある。

人間は、人との交わりの中でしか幸せを感じることはできないと言います。人とのかかわりは、いいことばかりではないけど、人の中に飛び込んでいかないと、いいこともないんですね。

誰も何も言えないような状態は、異常だし不幸なこと。

自分の言動について批判されたら、それはそれで、そのつど向き合う覚悟をするしかない。

そのとき、ほかの人がどんなふうに思うかは、自分がコントロールできることではない、と知っておくといいかもしれない。相手を説得しようとしたり、共感してもらおうと躍起になる必要もなければ、相手の意見に同意しないといけないこともない。ただ話を聞いて、自分は自分の意見を伝えればいい。

それが難しいのよね。

お互いに言いたいことを言い合ってるだけでは何にもならないと思いがちだけど、言いたいことを言い合えるって素敵なこと。

早急に折り合って結論を出さないといけない場合でも、マウントの奪い合いで決着をつけようとするより、言いたいことを言い合える信頼関係の中で解決点を見い出すように努めるほうが安心感がある。

ふつうに言いたいことが言い合える関係づくりに苦労したい。

「自分たちはいいことしてる」と思っていると、絶対にろくなことはありません。

「いいことをしてない人」に強く働きかけようとしたり、いいことをしているのだから、と、図々しく声高になったりしやすくなります。

ーーー糸井重里が『今日のダーリン』の中で

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