50代転落主婦が格差社会で腐らないために大事にしてること。

kusaranai

自分の人生何とか無事にやっていけそうっていう余裕の人は、多様性を楽しむことができるけれど、いつ落ちこぼれるかわからないところでがんばってる人にとっては、ほかの落ちそうな人とか、すでに落ちてしまった人のことなんかどうでもいいだろうってことになるようで、「多様性」もまた富裕層の特権になりつつある、というのを知って驚いた。
日本がこれ以上分断しないために絶対必要な「エンパシー」とは何か
わたしもとくに将来の心配もなく、それなりに老いていけるつもりだった若かりし頃は、格差なんて気にしたこともなかった。

お金はそこそこで

はじめは、やっぱり何が何でもお金が大事だよなーって思ってた。

今も大事だと思うし、もっと欲しい。

でも、お金に身も心も奪われてしまうと、これはまた命に関わる。

きれいごとでも大げさでもない。

お金持ちになるのも貧乏になるのも、努力次第ってとこも多少はあるかもしれないけど、たまたまなんですよね。なんて言うと、怒る人もいそうですが、わたしはそう思うことにして、自分の身を守ってる。

稼げないからといって、がっかりしないメンタルを持ちたい。

知性を捨てない

このどうしようもない人間社会でうまく生き抜くにはどうすればいいか。

医者や議員、官僚や大企業の役員、頭がいいはずの人たちがとんでもなく愚かしいことをしでかすのを見ると、ほんとの賢さって何だろう、とつくづく考えさせられる。

いろんな人がいろんな表現で言うのには、何ごとにも追い詰められたり極端にならないバランス力が大事なようだ。

人間はそのバランスをとるのがどうもうまくない。

自然界の生き物でありながら管理可能な人工物を愛するという矛盾。うまくおっとりをとるのが難しいという。

まずはすぐに出しゃばりがちな感情のコントロールが必要だ。

そこで大事になってくるのが知性である。

自分と違う考えについて、嫌悪して批判するだけならじつは知性はいらない。

相手がどういういきさつでそういう考えをするようになったかを調べたり、想像するのが知性なのだ。とくに共感・同情できない立場の人の考えを想像するにはかなりの知性を要する。

気に入らない意見や人について、感情的に排除して済ませようとする本能を抑え、知ろうとする知性を捨ててはいけない。

これは道徳的な話じゃない。

話題の「分断」とか「格差」で腐らないための知恵なのだ。

人間社会で腐らない秘訣

はじめに、「多様性」も特権階級のものとなりつつあるらしいことを書いたけれど、人というのは、集団生活する中で、どうも上下関係を作りたがるもののようだ。ここは動物的というべきか。

だけどアドラーによると、上下ではなくフラットにしないと結局人間はつらくなるという。このフラット思考には知性がいる。

養老さんは『学問こそが典型的に意識の上に成り立っている』(「遺言」より)といい、ヤニス・バルファキス氏は『遠くから俯瞰してみる視点を持っている限り、君は現実と関りを持ち続けられる』(「父が娘に語る経済の話」より)と、いずれもわたしに知性の大切さを教えてくれている。

人間社会で腐らず、バランスよく機嫌よく生き抜くには、社会的地位とか難しい資格よりも、手持ちの人間らしい知性を捨てずに使うことだと思う。

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