気づいたらお金のことばかり考えていて、はしたないことに「もっとラクにたくさんお金を稼ぐ方法はないかしら」などと何度思ったことでしょう。
おかげで少しわかってきたことがあります。
お金の心配は不安になって深刻になればなるほど、追い込まれて危険な精神状態になるってこと。
深刻になればなるほど
お金の心配や不安は深刻になればなるほど膨らんできて思考停止状態になりませんか?
どうしようもなくなって逃げ道を見失う。
むちゃくちゃ危険です。
「死ぬ気になったら何でもできる」と言いますが、できない人もいるんですよ。
わたしもがむしゃらに何でもして働くなんてことはできませんでした。
そうしない自分が責められてるようで悩みました。
それこそキツイ・汚い・危険な仕事でも何でもやらないとダメなのに、それをしようとしない自分はあかんたれで価値がない、などと思うようになるんです。
実際誰かに追い込まれてしまう場合もあるかもしれませんね。
当時は自分にできそうなことを探すという視点がまったく思いつきませんでした。
それもこれも「時間がない」「早くしないと」というわけのわからないあせりからきていたように思います。
こういうときです。おいしい話につい飛びついてしまうのは。
ふつうだったら詐欺を疑うような話でも、かんたんにひっかかってしまいそうな精神状態になるんですよ。
わたしはミニ株式投資で損をしました。その程度で目が覚めてよかったです。
いつでもどんなときでも機嫌よく
いろいろ考えて深刻になっているときは、わけもなく楽観的でいるのは馬鹿だと思ってました。
今も根拠のない楽観主義は危ないと思ってます。
でも、いつでもどんなときでも機嫌のいい人は尊敬します。
なぜなら誰だっていい時ばかりじゃないでしょ。それなのに周囲にも自分にもいつでも気持ちよくできる人は文句なしにすごいと思うのです。
機嫌がいい人は楽観的かどうかは不明なんですが、少なくとも深刻に悩んで悲観的になったところで状況は変わらないってことを直感的に知ってるのではないでしょうか。
だったらどうせなら気持ちよく過ごそう、といった具合におのずとコントロールしてるとしたら、やっぱりおそるべしです。
機嫌は我慢したり無理してよくするものではないと思うんですよ。目の前のめんどうな一切合切を突き放したとき、はじめて機嫌は安定するのではないかしら? もちろんとびきりいいことがあったときも、人間機嫌がよくなるけど、そういうのはなんか一過性で安定しない気がします。
いつでもどんなときでも機嫌よくするには、あらゆる嫌なものごとを冷静に処理しないとかなわない。
もしかしたら、いつでもどんなときでも機嫌よくしているほうが人生ラクなのに、ななかなできないでいるのかもしれません。
お金の現状を具体的に知れば不安は膨らまない
どうすれば我慢したり無理して追い込まれたりしないでお金の問題とちゃんと向き合えるのか?
そう考えたとき、とりあえず今の状況を正しく知らないといけないということに気づいたのでした。
こんな状況でこの先どうなるのかしら?
正直不安は尽きません。
でも、以前のように追い込まれてパニックになるようなことはなくなりました。
お金の現状を具体的な数値で把握すると、不安が漠然と膨らむ余地がなくなったようです。
時間も限られてるし、できることも限られてるし、心配もなくなったりしてません。ただ、今できる限りのやりくりに淡々と専念すると決めました。
いつでも機嫌よくというわけにはいきませんが、少しだけお金の心配を突き放して考えることができるようになったのではないかと思います。
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