家事は生きてる限りついて回る。
多忙な時にはこれほどおっくうなものはなく、元気なときには気晴らしにもなる。
家事とは衣食住を整えることであり、つまりは生きること。
いろいろめんどうだけれど、この年になって思うのは、家事が自分でできるのは幸せなことだということだ。
家事は学校で教わらない
『人生がときめく片づけの魔法』に片づけは学校で教わらないといったようなことが書かれていたように思う。
学校で教わった裁縫や料理、思えば実生活ではたいして役に立たなかった。
学校で学んだことが実生活で役立たないのは、何も家庭科に限ったことではない。
だけど学校の勉強が無駄だったというわけでもない。
家計管理をしようと思ってあわてて簿記を勉強し直したり、掃除のときに洗剤の成分のことを調べたり、実際に使うようになってはじめて本気で勉強し直すとき、学校で教わった基礎がなければもっとどうにもならなかったと思うからだ。
勉強は必要になったとき、何度でもやり直さねばならないものであることをおとなになって思い知った。
だけど家事については、悠長に学び直す暇もなく必要に迫られるから困る。
とりあえず日々回さないといけない家事とは
家事は滞ると生活に支障をきたす。
- 炊事
- 洗濯
- 掃除
がその代表。
家事がたまる原因は、
- やり方が悪い
- 時間が少ない
- 体調が悪い
わたしの場合、上記3つのたいていどれかに当てはまる。
1の家事のやり方については、自分の適性を考えて、できもしないことはしないようにして、なるべく簡単な方法をたえず模索している。そうすれば、自ずと2の時短につながります。
3の体調については、とくに更年期ごろから意識するようになりました。体調が悪いとちょっとした家事もおっくうになって能率が下がります。そうすると、いくら家事の方法をどんなに改善しても、家事は回らなくなる。家事は日々発生するからです。家事を滞りなく回すには、体調管理は欠かせないのだ。というわけで、わたしは何よりも睡眠時間を優先し、家事の停滞を最小限にするように心がけている。
家事には終わりがなく報酬がない。わたしも不満に思わないことはない。その一方で家事を滞りなく回す気持ちよさも知っている。
回すと言っても、当然スーパー主婦のような丁寧で完璧な家事ではありません。毎日の炊事と洗濯とその片づけをどうにかこうにかこなし、身の回りの掃除をちょこっとするのが精一杯。まだまだ行き届かないところだらけである。
でも、まあ自分でこうして身の回りのことができるというのは幸せなことではないかと思うようになった。今後、加齢でいつ身の回りの家事がしたくてもできなくなるかもしれない、などと考えるようになったからだ。
自分で家事ができることは、なんて自由なんだ!
こんなふうに思うようになろうとは、わたしも年をとったものです。
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