自立とは、広辞苑によると
他の援助や支援を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。
とある。
生計を他者に依存している主婦は、世間一般では自立してない者として扱われる。そうすると、当事者もだんだんそんな気になってくる。
世の中は、お金を稼いでいるか、あるいは資産があるかどうかで自立を判断する。
援助や支援を受けられるようになるのが自立
あるとき、自立とは、周囲からうまく助けてもらえるようになることだと聞いた。
稼げない自分や発達障害の子どものことで、将来に行き詰まりを感じていたので、ふと目からうろこが落ちたような気がした。
そういう考え方もあるんだと。
とはいえ、誰かに助けてもらうことは、お金を稼ぐことより難しい面もある。
本当に緊急に助けを必要としている深刻な人ほど助けを発信できないという。
稼いで自立することも、周囲に助けてもらうのもそう簡単ではない。
自立というのは、いずれにせよ簡単でないことができるようになることに違いなさそうだ。
自立とは個人と社会の折り合いができること
やまもといちろう氏が文春オンラインで素敵なことを述べている。
人生は人それぞれなので、その人それぞれの決断や判断は自由に、それに伴う行動に対する評価もまた自由であることが、一番世の中が良く回る方法なんじゃないですかねえ。
誰もが好き勝手に言いたいことを言い合うのは悪いことではない。それが自由というもの。
でも、つい自分と違う考えや、自分が嫌いな意見とかにはいちゃもんつけたくなるのが人情である。
議論やコミュニケーションになればいいのだが、言いっ放しの悪口になることも少なくない。
でも、これまた自由と言われればそれまでである。
自由というのはやっかいだ。傷だらけになってくたびれるだけだったりする。
それもこれも、自立できてない証かもしれない。
個人としての自分と、社会人としての自分と、うまく折り合いをつけることが自立するということのようだ。
最近読んだ『チョンキンマンションのボスは知っている』のタンザニア商人のことを思い出す。彼らは仲間を信用しない。でも、お金儲けのついでに助け合う。互いに干渉しないのは、身を守るためでもありマナーでもある。助け合いの損得をあいまいにして、対等な関係を築いている。
個人と社会の絶妙な折り合い方のひとつの手本かもしれない。
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