人を殺してはいけない理由

殺人が犯罪なのは

「どうして人を殺してはいけないの?」の聞かれたらどう答えていいのかわからなかった。

警察に捕まって、人生が終わるからというのも、なんか違う気がしていた。戦争中は人を殺した方が評価されることもあるし、殺さないと殺されることもありそうだ。

考えれば考えるほど、どうして人を殺してはいけないのか、はっきりした答えがなくて困っていた。

ところがつい最近、ドラマ『ミステリという勿れ』の主人公のセリフで腑に落ちた。人を殺してはいけないのは、殺されないためなのだ。

リスクは下げられてもゼロにはできない

実際は、人を殺していなくても殺されることはある。つまりこれは殺されるリスクを多少下げる程度のきまりに過ぎなかったのだ。それがかえって説得力がある。

「人に親切にしなさい」と変わらない。

「いじめをしてはいけない」「差別してはいけない」「戦争してはいけない」というのも同じ気がする。

どれも残念なことに「ゼロコロナ対策」と同じで、ゼロにするのは難しそうだ。

でも、限りなくゼロに近づけるために、そのリスクを下げるよう心がけることが大事ということなんだろうと思う。

たとえ徒労に終わることがあっても。

生きるリスクは下げることはできてもゼロにはできないものなのだ。

悪いクセ

どっちが悪いか、どっちが正しいかをきっちり決めたいと思う。悪ものをやっつけて、正しいのが勝つほど気持ちいいものはない。本能的にそういう快感を味わいたくなるのかもしれない。じつはどっちが悪いとか正しいといった答えなんかどうでもよくて、ただ気持ちよくなりたいだけかもしれない。

正解などないにしろ、うやむやにはできない。そのために適当な基準やルールがある。その基準やルールには、もしかしたら善とか正しさなどなくていいのかもしれない。

とはいえ基準とかルールは、やっぱり最小限のリスクを目指し、すり合わせながらつくっていくのが理想だ。

ゼロを目指すと絶望する。

価値観が共有できないときこそ、リスクを抑えるための戦略をあきらめてはいけない。永遠に勝ち続けることはできない。たえずリスクの小さな波に乗ろうと苦心するサーファーであるべきではないか。

いやいやこの世に生まれたからには、ビッグウェイブに乗って、ゼロリスクを目指したくなるのが人情というもの。リスクの種は抹殺するのが生存競争といえなくもない。しかし無駄にすり減らすだけに終わり、ゼロリスクどころかかえってリスクを負うことが少なくない一か八かの賭けでもある。でもこうした賭けをしたくなるのがヒトの悪い癖かもしれない。

せめてあの杉下のように、自分の悪い癖を自覚する賢さがほしい。

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