雨の季節、毎年どきどきびくびくしている。
ここ数年は毎年どこかが被災している。まったく他人事ではない。実際特別警報が出され、避難指示が出されたこともあった。幸い事なきを得たが、命を守れと言われても、正直逃げ場所が思い当らない。
地域の避難場所は当てにできない。
コロナ以前から地域の避難場所は当てにできなかった。
特別警報が出されたときでさえ、地域交流センターに避難の一点張りだからだ。
ほんとにいっせいにみんなが押し寄せたらどうするんだ、といつも疑問に思う。
じつは避難場所はほかにもあちこちあることになっている。うちの目の前にある小学校も避難場所に指定されているが、これまで開放されたことがない。こうした避難場所は、いつでもとっさに避難できるようにはなっていないのだ。
おそらく準備や対応する人員がいないということなんだろう。
結局、親戚や知人を頼るなりして、自分で何とかしろってことのようだ。
引っ込み思案にはなかなか敷居が高い。
「コロナどころではない」と言って水被害から逃げてきた人たちはいう。それはそうだ。水が迫ってくれば、身ひとつで逃げるしかない。感染を恐れて避難所に行くことを躊躇する人もいるというが、それはまだ考える余裕がある状態のことだ。
ハザードマップをチェックして、とりあえずは垂直避難を考える。
次に持ち物を考えて準備しようと思うのだが、結局「雨が降りませんように」「川が氾濫しませんように」などと念じるばかりで先に進まない。ほとんど現実逃避である。
近所の高い建物は小学校の校舎くらいしかない。いざとなれば、施錠された校舎の窓ガラスを割って入り込む頼もしい自分を妄想してみる。
災害に限らず、人生にはどこか避難場所を持っていると心強い。
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