八方美人ということばがある。
誰に対しても愛想がいい人を軽視したことばだ。
誰に対しても分け隔てなく感じよくするなんて、やろうと思ってできることではない。八方美人が悪口になっているのは、八方美人になれない者のねたみから始まってる気がする。
好きな人、嫌いな人ランキングに両方登場するのは人気者
最近「あの人は八方美人だから」という話を生で聞いた。何気ないご近所の世間話。世間話をする機会が極端に少ないわたしは、八方美人と言われた人のことをちょっとうらやましく思う。
なぜなら、きっとわたしなんかは、ご近所の話題に、こんなふうに出てくることもないだろうからだ。「顔も知らない」と言われるかも。「どんな人だっけ。何してる人?」なんて噂されてるかもしれない。
誰にも知られていないというのは、孤立の始まりではないか? とこの頃危惧している。
あちこちで、よからぬ噂されるというのも困るけど、わたしからすれば、八方美人は誉め言葉だ。きっと八人のうちの何人かは、その人のことが好きとまではいかなくても嫌いじゃないはず。少なくとも8人の知り合いがいるということだ。
芸能人でも、人気者はたいてい好きなランキング、嫌いなランキングの両方に名前がある。悪口でも話題にのぼるほうが誰にも知られていないよりましなのは、有名人だけではないかもしれない。
だいたい好きとか嫌いなんていうものは、すぐに変わるいい加減なものだ。実害がない限り気にすることはない。なんてわかっていても、なかなか人づきあいに飛び込んでいけない。
というか、学校も職場もない50代主婦のわたしが人と自然に知り合うきっかけをつかむのは至難の業。だからせめてご近所づきあいに励もうと思っている次第。
個人的な情報のやりとりがどうも苦手。距離感つかめなくて、つっこめないし、つっこまれても困るし。むずかしいなって思う。考え過ぎ?
うちの外まわりの掃除から励もうと思う。
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