エアコンは必需品か

eacon kaikae

一台だけあったうちの古いエアコンをとうとう買い換えることにした。オットの仕事が三交代勤務に変わり、猛暑の日中に眠らねばならないからだ。

エアコンなければ暑さに慣れる?

エアコンは盛夏の熱帯夜に、よく使っても年に半月ほど、ほとんど使わない夏もあった。

その代わり、一人一台扇風機がある。

あまりに暑くて汗が出るときはシャワーを浴びる。

そんな生活をしていると、暑さに慣れて、汗をかくのがじょうずになる。

地方に住んでてありがたいのは、ご近所の室外機の温風が気にならないことだ。夜間は窓を開け放して寝たほうが快適なことも少なくない。

街中で育ち、街中で暮らしていた頃の悪夢のような熱帯夜を知るわたしからすれば、人口密度が低い地域では、必ずしもエアコンは必要ないように思う。

躊躇なくエアコンつけろというけれど

ニュースでは、熱中症に気をつけて、暑いときはエアコンつけろとうるさいくらい呼びかけるようになった。高齢になると、暑さや喉が渇いていることに気づきにくくなるという。

エアコンがあるのが前提なのだ。

確かに、集合住宅にはどこもエアコンが設置されているように見える。うちの近所もエアコンがない家は見かけない。けどうちのように、古くて使いものにならないかもしれないし、電気代が高くて使えないと思っている人もいるかもしれない。

生活保護でエアコンをつけると贅沢だと言われて問題になった時代があったことを思い出す。あの頃がエアコンが必需品になる変わり目だったのだ。最低限必要な生活コストだけがどんどん上がっている現状が切ない。

一方、汗をかくのが苦手な人が増えているとか。エアコンのおかげで、ヒトが本来持っている調整機能がうまく働かないというのだ。だから「暑さに慣れて汗をかくトレーニングをしよう」などとマジメな顔をしていう。なんかばかばかしい。

最新のエアコン事情は知らないが、うちのエアコンは止めれば暑いし、つけると冷えて具合が悪い。電気代を心配しながら使っていると、かえって体調が悪くなりそうだ。

わたしは扇風機でしのげる日も少なくない。と言っても、猛暑日の台所仕事はさすがにこたえる。そんな日は炊事を堂々と怠けている。

暑さに耐えかねて「今年こそやっぱりエアコン買おう」と家族の誰かが言い出すのも恒例行事。

熱中症もエアコン装備も

考えてみれば、熱中症もエアコン装備が当たり前になったのも資本主義社会のせいである。ものをどんどん作ってどんどん売らないことには経済が回らない。

身の丈に合っていようがなかろうが、すべての人にエアコンを売って標準装備されることになり、温暖化になろうが熱中症になろうがそんなことはおかまいなしに、生産し続けるのが資本主義社会なのだ。

その結果かどうかわからないが、猛暑日は順調に増えてエアコンは売れ続けている。うかつに暑さを我慢すれば、若くないし、熱中症で病院のお世話になるかもしれない。そんなことになれば、医療関係者にまた余計な負担をかけかねないご時勢である。

そう思う反面、どこもかしこも同じようにエアコンに依存して、かえって不健康にならないかと心配になる。

高齢者はエアコンをつけたがらないと懸念されているが、そこにはいろんな事情がある。感覚が衰えているということもあれば、電気代がもったいないという心配もあるし、あの冷気が何とも不快な場合もある。単純に古くて使えないなんてこともありそうだ。事情があるのは高齢者に限らない。

臨床心理士の東畑開人氏は、「集団として生き残ることを目指す公衆衛生の技術は、人間を個人ではなく人口単位で扱う」(社会季評 朝日新聞より)という。また生物学者の福岡伸一氏は、「データサイエンスや論理で生命をコントロールしようとすると、動的である生命の営みを決定的に損なうことにつながる」(福岡伸一の動的平衡 朝日新聞より)と述べている。

エアコン装備が当たり前で、エアコンをつけないから熱中症になったといわんばかりのステレオ報道にはいつも憂鬱になる。

高価な最新型エアコンを注文したのはいいが、資本社会に埋没して暮らすしかない敗北感をじわじわ味わっている。

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