『武器としての「資本論」』を読んで。

buki shihonron

マルクスの「資本論」は読めそうにないけれど、『武器としての「資本論」』はたいへんおもしろかった。マルクスは200年も前に資本主義の行き着く先を言い当てているのだから、ノストラダムスの大予言以上ではないかと思う。

マルクスに学ぼうという人は多い。けど資本主義の限界を思い知るだけで、結局どうすればいいという答えはない。しかし著者は「資本論」がこの世を生き抜く武器になるという。

資本主義のヤバさを知るだけでも価値がある

資本主義社会はあたりまえで、これからもずっと続いていくものと思っていないだろうか?

資本主義社会は、お金の交換が始まった昔から漠然とずっとあるものだと思っていたけれど、マルクスのいうところの資本主義社会のはじまりは、地域差や時間差がかなりある。日本は明治から戦後にかけてじわじわ全国に浸透し、ここ数十年で急激に末期症状に至った感がある。思ったより新しい。

資本主義社会というのは、著者の定義によると

物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行う社会であり、商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)

である。

初期は労働者を死ぬまで最大限働かせていたが、それでは労働者が再生産されないことに気づき、労働者の待遇に努めて生産性を上げようと努めるが、やはりそれにも限界が訪れ、労働者の権利をはく奪、搾取する方向に転換。技術革新による有利性は一時的なものに過ぎず、結局労働搾取と資本集中によって資本増大していくより道がないいずれは破滅するとわかっている制度なのだ。

そんなお先真っ暗な制度の中で暮らしているのである。

資本社会の渦に呑み込まれ、わけがわからないまま暮らすよりは、とりあえずヤバイと知っておいて暮らすのとでは多少違うかと。

隕石家族のドラマを思い出す。

食う権利があると主張できるか

資本社会は圧倒的な物質的豊かさをもたらしてきた一方、人を生産性で評価し、最低限必要な生活レベルをおとしめ続け、貧しさを作り出す。やがて資本主義の価値観を当たり前とする内面を持つ者があらわれ、人間の感性までもが資本にとりこまれる事態になる。これが新自由主義のおそるべき到達点だという。

では、人間はどうすればいいのか。何ができるというのか。

人として豊かに暮らす権利は誰にでもある。そうした人間としての基本的な価値を主張できるか。資本に奪われた人間らしい感性や思考を思い出し、取り戻していく。そうした闘いを始められるかどうか、それが今問われていると著者はいう。

「こんなのやってられない!」と声をあげることから。

生きることは、やっぱり闘いなのか……。

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