ドラマに求めるもの

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わたしはテレビドラマが好きだ。ドラマで憂さ晴らしをしたり、考えさせられたり、感動するのが楽しい。

この頃は、現実があまりに過酷だったりするので、テレビドラマに癒しや気晴らしを求めたいところなのだが、ふしぎなもので、生々しくも憂鬱な現実世界を目の当たりにするような物語から目が離せなくなっている。

わたしはドラマに何を求めているのか。

なぜか見てない「半沢直樹」

今シーズン大人気でおもしろそうだと思いながら見たことがない「半沢直樹」。

前作は見ていたし、おもしろかったと思う。きっと見るとそれなりにおもしろいに違いない。少々顔芸が過ぎるけれど、魅力的な出演者も多い。

それなのに、どういうわけか、わざわざ見たいと思わないのだ。

どうもわたしが今求めている物語ではないようである。

悪い奴をやっつけるのを見て、すっきりして元気になるとは思えないし、単純に顔面演技を楽しむ気分でもない。

見ればそれなりにおもしろいだろうに。

ドラマは娯楽とは限らない?

自分でも不思議である。

その一方で話題のナギサさんは楽しんで見ている。出演者に好きな俳優さんが多いこともあるが、単純に設定がおもしろそうなので始まる前から楽しみにしていた。

そういえばよく比較されている「逃げ恥」も欠かさず見ていたっけ。

そのドラマを見るかどうか、峻別している基準が我ながら不明である。

とくに人間ドラマにこだわるつもりはない。殺人事件は好きなほうだが、誰も死なないドラマもよく見ている。

ストーリー展開にうるさいわけでもない。おもしろい展開や事件一つ発生しない何ということのない日常を描いたドラマも嫌いではない。この年になると、時間や場所がしょっちゅう切り替わるような凝った展開のドラマはついていけないこともあるが嫌いではない。

そのドラマを見るか見ないかは、もはやそのときの気分としか言いようがない。

ただここのところ、勧善懲悪ものはもうたくさんなところがある。

結局見てしまう「ディア・ペイシェント~絆のカルテ~」

人気の「MIU404」の裏番組だし、重そうで避けていたNHKの「ディア・ペイシェント~絆のカルテ~」は、今では目が離せないドラマの一つになっている。

これは目をそむけたくなるような生々しい人間ドラマである。そういう意味で現実にいちばん近いかもしれない。ドキュメントを見ているようで胸が痛くなる。誰もどうすることもできない終わりのない物語の数々だからだ。

人間は、誰しもこうしたものがなしい物語の中で懸命に生きているものではないか。

つらくて、どうしようもなくて、すっきりした解決策はどこにも見いだせない。実際にはそういうことがいっぱいある。

どういうわけか見入ってしまう。こうしたどうしようもない部分と向き合わなければ、今の世の中、前に進めない気がしているのかもしれない。

人間なんてこんなものだと達観したいのかもしれない。あるいは、自分だけが苦しいのではないということを確信したいのだろうか。

ディア・ペイシェント~絆のカルテ~の原作は医師作家の小説

自分の物語とドラマのリンク

記憶アスリートと呼ばれる記憶競技の選手たちの記憶術の基本は物語をつくることだという。

人間はあらゆることを物語として記憶し、その物語の中で生きているらしい。

人の脳は物語が大好きなのだ。

テレビドラマに求めているのは、現実を忘れさせてくれる物語かもしれないし、救いや願望の物語かもしれない。いずれにせよ、自身の物語とどこかで何らかのつながりがあるのだ。

ドラマの中の憂鬱でちょっとコワイ人間の内面と対峙することで、不安で困難な今の現実を乗り越えるヒントを模索しているのかもしれない。

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