暮らしを小さくするということ

chiisana kurashi

「小さな暮らし」とか、「暮らしを小さくする」というと、なんかちょっとしゃれてるけれど、うちの場合、要は破産しないように、身の丈に合った暮らしにダウンサイジングする、ということなので、考えてみたらそれほど格好いい話ではない。

何となくきれいな言葉でごまかしてしまうのは、まだまだ身につまされていないというか、現状を受け入れられていないからかもしれない。

小さな暮らしで破産を避ける

今何とかこうやって生活できていることだし、状況が良くならないまでも、そんなに急に世の中変わって悪くなるってこともないだろうし、今の調子で何とかなるだろう。

そんなふうにのんびり思っていたのだけど、意外と世の中って変わるものだ。

ついこの間まで、生活費の一部を少しずつでも貯金するというのが一般的な家計管理の王道で、どうにかやりくりせねばと努めていたけれど、気づいたら貯金できないのが当たり前に……。

「貯金できないなんて、恥ずかしくて言えない」というのが昭和世代の特徴かもしれない。その一方、世間並みの暮らしに執着してしまうところがあって、これまでの生活がなかなか変えられない。それどころか、テクノロジーの進化で、生活の質は上がる一方。

それなのに「働かざる者食うべからず」とか「身内のことは身内で」という思想が根強く残っているのも昭和世代かも。だから仕事を辞めて介護で困窮しても、貯金を使い果たし、さらには借金をし、身内で共倒れするケースが相次いだ。

やがて介護サービスなどの社会保障に頼らざるを得なくなったのはいいが、こんどはその社会保障を支えてきた労働や資産、家族の支援が崩壊してきている。

世の中は確実に変わり続けているのだ。

じゅうぶんな年金収入や資産を持つ高齢者は年々減り、今後は貯金もままならない労働者が、多くの破産高齢者を背負うことになるというのだから、今何とかなっている人も対岸の火事では済まないと思うのだが。

個人ができることといえば、破産しないように本気でダウンサイジングするくらいしかない。

小さな暮らしは、破産を免れるためにできるたった一つの方法なのだ。

バランスをとる知性が自分の身を助ける

未来は今の積み重ね。だからといって、「今さえよければいい」ということにはならないし、「今我慢して、未来に備える」ばかりでもつまらない。

時代によって、個人の状態によって、その割合は違うにせよ、バランス問題ということだけは確か。

どっちか極端にふれないようにおっとりをとる。それが知性というものではないかと思う。

バランスを考えれば、悲観的にも楽観的にもなり過ぎない。

人生も人間社会も、これまでピンチでなかったときなんてなかった。

なぜなら人間は、いつの時代もバランスをとるのがうまくなかったからだ。

知性とは、内側にすっかり入ってしまわないで、ときに臭いもののふたを開けて覗き、ときに遠くから眺める視点を持つことだと思う。

そうした知性を捨てないことが、自分の身を助けることになる。

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